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楽しみを希う心

マイケルナイマンの有名な楽曲に「楽しみを希う心」というのがある。
映画「ピアノレッスン」の主題曲にもなった曲で、同じフレーズが繰り返されているにも関わらず、ひどく心を揺さぶられる。
ピアノレッスンを知らない方の為にピアノレッスンの映画を要約しよう。
中学の時に見たので、記憶違いがあるかもしれないが、許していただきたい。

ある時先住民の住む島に新婚夫婦と子供が荒れ狂う天候の中、船に揺られてやってくる。合意の上での結婚ではなさそうだ。嫁は病気かトラウマを抱えており声が出せない。母親には連れ子が居たが、明るい性格で母をサポートしている。夫は島を手中に収めるために、やってきており、嫁に関する感情はない。
船はなんとか着いたが、嫁の大事にしているピアノは砂浜に置き去りにされてしまう。後日にピアノを取りに行くもわ先住民に持っていかれて、「鍵盤の数だけピアノをレッスンしてくれるなら、返してやる」と言われる。しかし先住民の男の目的は女の体だった。嫁も初めは抵抗するもそのうち拒まなくなる。しばらくして、そのことが夫に明らかになると、嫁の指を切り株に乗せ、斧を振りかぶり、あいつのことが好きなのかと詰め寄る。しかし、嫁は答えられない。声が出ないだけが理由ではなさそうだ。そうこうしているうちに、嫁の人差し指は切られてしまう。

映画の最後に子供、男と船で逃避行をする。あのピアノも一緒だ。元夫に斧で切断された人差し指には銀メッキの義指が付けられている。その人差し指で彼女は鍵盤を一音ずつ鳴らす。
ピアノ音と共にコツン、コツンという音が鳴る。彼女に表情はない。

彼女はピアノを海に投げ捨てるように男に伝える。ピアノをくくりつけて居た紐におそらくわざと自らの足を絡ませ自殺をはかる。男の助けにより彼女は命をとりとめたが、彼女の心は海に沈むピアノと共に静かに揺れている。

この曲から感じられるのは、穏やかさではない。羨望、悲しみ、動揺、そして崩れていくような儚さ。

この曲を初めて聞いた時、中学生だったこともあるが、タイトルとのギャップと言うか違和感をどう理解して良いのかわからなかった。

そして永らく、この「違和感」が理解できなかった。

最近になって年齢を重ねたからだろうか、このコロナの状況下になってから久しぶりにこの曲を聞いたとき頭の先からつま先まで、五臓六腑までもじーんと染み渡るような感覚を覚えた。

日常が非日常となり、非日常が日常となったこの期間に、
全てが元通りになることは不可能なのだと言う絶望感。
それでも生きていかなくてはいけない。未来に対する文字通りの「楽しみを希う心」。染み渡るような感覚を覚えたのは私の心境とぴったりと合ったからだろう。

勇気の出る曲でも、鼓舞する曲でもはない。しかし、現実をしっかりと見つめるのにこれほどしっくりとする曲はない。

もし聞いたことはない人がいたらぜひ聞いて欲しい。

・・・あ、オチがなかった。

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