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かわいくてやがて切ない『ゴジラ-1.0』

昨年11月3日から上映されている『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』は日本のみならず世界中でもものすごく大評判ですね。1月12日からは白黒版『ゴジラ-1.0/C(マイナスワン/マイナスカラー』も始まりました。

『ゴジラ-1.0』公式サイト

これまでに片手では数え切れない回数、見に行ってしまいました。映画館で同じ映画を複数回、見たのはたぶんこれがはじめてです。

最初に見たのは、ストーリーが面白そうかなと思ったのと、知り合いがちょっと関わっていたというのもあって、といった程度の理由で、そもそも別にゴジラ映画ファンではなく、特撮ファンでもなく、軍事オタクでもなく、『シン・ゴジラ』も映画館では見ておらず(アマゾンプライムビデオで見た)、昔のゴジラも日本映画専門チャンネルでやっていたのを見たことあるくらいのもの。なんとかマンガまつりとかで見てるのかもしれないけど覚えてないなあという程度(ミニラは知ってる)。なのになぜ私は何度も『ゴジラ-1.0』を見てしまうのか。

だってあのゴジラ、かわいくないですか?

もちろんこわいですよ。うわあと思いましたよ。ところが見ているうちに私はすっかり『ゴジラ-1.0』のゴジラがかわいくて大好きになってしまったのです。「『ゴジラ-1.0』のゴジラ」は長いので、ネットでの呼び名に即し、仮にマイゴジと呼称しますが(ゴジマイなの?)、マイゴジはかわいいんです。そう思っている方たちもけっこういると思います。もちろんこわいんですけど、それ以上にかわいい。この記事は、マイゴジはここがかわいい、というお話です。そしてちょっと切なくなります。映画の内容に言及しますのでご容赦ください。

まず、新生丸を追いかけてくるところがかわいい(お風呂に浮かべるアヒルちゃんみたいなのであのマイゴジがあったらほしい)。
高雄を攻撃するときのゴジパンチ(っていうのか)がかわいい。
高雄をやっつけたあとで身を翻して海に戻っていく様子がかわいい。
銀座で典子の乗っている電車をくわえたとき、犬が骨をくわえたときのようにほっぺがぷくっとするのがかわいい。
震電にちょっかいかけられてかみついてやろうとして空振りしているところがかわいい。海神作戦で胴周りにケーブルを巻き付けられたときに「え、これなに」みたいなところがかわいい。
しっぽを武器にしてぶん回すときの、勢いのつけかたがかわいい。
熱線を放つときの勢いのつけかたもかわいい。
やってやったぜ、というような立ち姿がかわいい。

ゴジラは分類上では爬虫類なんですよね。大戸島のゴジラはたしかに爬虫類に見えるのに(マイナスカラーの大戸島のゴジラはとてもこわかった)、のちに巨大化したマイゴジは、どうも哺乳類に見えてきます。私は爬虫類も好きなので、「爬虫類はかわいくないけど哺乳類はかわいいので哺乳類」とは思っていないのですが、巨大になったゴジラの挙動は哺乳類なのではないでしょうか。

先日、「月刊ホビージャパン」2024年2月号に載っていた山崎貴監督のインタビューを読んだのですが、そこでは「猫」についての言及があり、「マイゴジ、哺乳類だよね」と思ったのもあながち間違いではなかった、と思ったりもしました(べつに「ゴジラが猫だ」と書いてあるわけではありません)。

それに、大戸島のゴジラだって、整備兵を口にくわえるときにそのまま噛み殺すようなことはなく、ケガさせないように(?)くわえるんですね(映画では)(あまりエグい描写にするとR指定がつくから、というのをどこかで読みましたが)。獲物を傷つけないようにやさしくくわえるのは、「ソフトマウス」といって、ゴールデンレトリバーなどの狩猟犬の能力なんですよ。ほら、やっぱ哺乳類だ…。(まあそのあとでぶん投げているのでソフトマウスの意味はないですが)

シン・ゴジラのゴジラはとてもこわくて、(比喩として)血が通っていない感じ、なんの意思も持たない感じが恐怖だったけど、マイゴジには血が流れている感がある。哺乳類になったことにより(なってない)、マイゴジと人とは意思の疎通ができるのではないかという気すらしてきます。あんなに暴れるのは、伝えたいことがなにかあるんだよ。それが伝えられないもどかしさから暴れるしかない。悲しいな。

などとこんなふうにマイゴジが大好きになってしまったので、映画を見ていると「高雄ひどい」「やめろ海神作戦」「敷島め、なんてことしやがるんだ」とも思ってしまうわけです。高雄に至近距離から撃たれてのけぞるシーン、海中に引きずり込まれるときの宙を(じゃなくて海水を)掴む手、崩れ落ちるシーン、もうかわいそうでかわいそうで。むしろ人間のほうのストーリーよりも攻撃されているマイゴジの姿に泣けてきます(いえ、とてもよいストーリーでした)。

そもそもが人間のせいなのに、なぜこんな目に合わなくてはいけないのか。

などと考えていると、現実世界の、いわゆる有害鳥獣、なかでも特定外来生物の有害鳥獣のことが思い浮かんだりもしました。たとえばアライグマ。あんなにかわいいけれど人間に被害をもたらす有害鳥獣です(そのうえ特定外来生物)。

捕獲された有害鳥獣は殺処分されるわけです。そこには殺処分をする立場の方たちがいるんですよね。在来の野生動物で有害鳥獣になってしまった場合も、もとをたどれば人の生活の仕方のせいで害獣になってしまったのだけれど、アライグマなんてなおさらのこと。日本に来たくてきたわけじゃない。生きるために必死なだけ。

なのに人は、その命を奪うということをしなくてはならない。そんなことしたくてしているわけではないが、しなくてはならない人たちがいる。苦しい仕事だと思う。頭が下がります。断つ命への祈りのような思いだってあるだろうと思うのです。

そういったことを考えるとき、海に消えゆくマイゴジに人々が敬礼で敬意を示すこととちょっとつながるなとも感じました(現実の殺処分と映画を一緒にしてはいけないのはわかっていますが)。

そして、『ゴジラ-1.0』を見ているその間だけは、リアルな日本でクマの駆除について「かわいそう!」「クマが殺さないで!」と言っている人たちの気持ちがとってもよくわかります。マイゴジも被害者! 共存の道を! ……ただね、それはファンタジーの世界なので、現実の世界では現実を見るしかないのですが。

おそろしい存在であるべきゴジラをかわいいかわいい言うのもどうかと思いますが、ストーリーに関する感想はいろいろなところでみなさんが書かれている感想をご覧になってください。

かわいくてやがて切ない『ゴジラ-1.0』を見ながら私が感じたことでした。
ではまた。

トップ画像は特典でもらったアードボードです。

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