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くるくるまわる。

一年早いもので,もう数日で紅白なことにびっくりします。
今年も、我らが洋ちゃん!こと大泉洋が司会。道民はハラハラしながら見守るでしょう。

今年は「まわる。めぐる。」そんなことを意識して生活の中に取り入れてました。

今年の初め,年明けに寒波が来て、元々弱い肺が大ダメージをうけ、2ヶ月ほどうまく動けず、肺年齢が上がってしまったことも含め落ち込んでいた。
寝る前に,「良くなるといいなぁ。」と、唱えながらの日々

(▲2021.1月半ばのイラスト)

そんなしんどさを、イタリアに嫁いだ友人にメールで弱音を送った時に返ってきた文章に

「良くなるといいなぁ。じゃ良くなりません。良くなる。「なる」んです。自分で引きよせないと。未来に委ねるんじゃなくて,未来は自分で決めていいんだよ。」と書かれていて
随分とハッとさせられたし、励みになり、その日から「まぁ,今苦しいけど明日には良くなるけどね。なっちゃうもんね」と言いながら 徐々に回復していった。

言葉はまわる。よくなる。は、「なる」を連れてくる気がし
「なるかなぁ」は「かなぁ…?」と迷子になっちゃってるイメージを感じ

自分にとってプラスになることは回していきたいものだ。と意識するようになった。

「悪い物がまわり始めたら断ち切る」

最近、携帯を変えた。長くAndroidユーザーだったが、一度ぐらいはiPhoneにしてみたいとiPhoneにした。
「iPhoneの知識がほぼないから、色々教えてほしい」と店員さんに伝えるも
店員さんの当たりがべらぼうに悪かった。

マイルドに書くと
・テンポが早すぎて欲しい情報を聞くことができない
・色々勧めてくるが、「良い」「お得」としか言わない。詳しいメリット、デメリットが伝わってこないし聞いても答えられない
・情報が不確かなことが少々
などなど

携帯を変えたのが間違いだったか。としばらく凹んだし,店員のあかんかったことが多すぎて,これが嫌だったアレが嫌だったと数日私は怒っていた。
だけど本来は「怒り」の感情が苦手だ
なのに「客を思いやれない」彼にプンプンしてた

数日後に,フリマサイトで頼んでいたコートが届いた。安かったんだけど,色や状態が良いと思い購入したのだが、明らかに雑な梱包で、開けた瞬間、色が写真と全然違い少しフリーズした。
まぁでもこの色でも着れるだろうと袖を通したら腕が入らない。肩幅、腕の部分が幅が極端に狭い。
そして、すぐにボタンが2個も取れた。これにはびっくりした。
梱包するときにボタンが取れかけてることはわかったはずだ。それでも、売るんだ。と…。

すぐ、苦情を書き始めた。書き始めて、消した。取引完了画面に移り「受け取りました。ありがとうございました。」を送信した。

こういった雑なことが回り始めてる気がしたし。自分の怒りがそれをさらに回してる気がした。
小さなラッキーに恵まれやすい自分だが、そんなのが遠ざかってしまう。と思ったから
「ここで終わらそう」と終わらせることにした。

正直,安値でも壊れかけてるものを売る気持ちは私にはわからない。
高い買い物なのに利益優先の提案ばかりする人の気持ちもわからない。
だけど、その人の気持ちは私がわかることではない。

まわさなくていいから。まわさない。おーしまい!
どうぞ、おかまいなくー!

「まわるまわる」

いろんな役割があって、それが自分が意識しなくても、相手にとっては「あなたがあの時笑いかけてくれたから頑張れた」なんてことはザラにある
「自分に価値があるのか」なんて価値を考えると苦しくなっちゃうし。それに囚われた想いがまわってしまうから

自分に丁寧でいよう。って思う。

そしてすこーしゆとりのある自分が、知らない間に誰かのささやかなエネルギーになっていたなら
いいなぁと思う年の瀬でした。

なりたい自分になるために、来年もまわしてこー。


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