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『10年前の手術』

A先生曰く
「この手術は99%の確率で命に別状はありません」
B先生曰く
「100人手術すると一人は亡くなります」

どちらも
「この手術は1%の確率で死亡します」
 なのだが・・・言い方や受け止め方で
 まったく違った印象になってしまう

A先生の方が安心感を抱かせ
「先生お願いします」と返事をしてしまう可能性は
(なぜか)高いと思われる

同じデータ(数字等)でも
 表現の仕方一つで
 受け取られ方が違うことは
 意識しておきたいですよね

あれから丸10年

2012年2月29日(水)午前
カテーテル・アブレーションという手術を受けた
(ちょうど10年前だ)

病名は「心室頻拍」
 ↓  ↓  ↓
ググるとこんな文献が・・・
『心室頻拍と心室細動は最も危険な不整脈であり
 突然死を起こす原因です。
 日本における突然死の約60%が
 心臓によるもの(心臓突然死)と
 報告されており年間で約6万人が
 心臓突然死を起こしているとされています。
 その心臓突然死のほとんど
 心室頻拍・心室細動によって起きています』

そして当日
こんな手術の説明を受けた記憶がある
 ↓  ↓  ↓
『身体が自動車だとすると心臓はエンジン
 アクセルを踏んでいない
 アイドリング状態なのに
 回転数が上がってしまう病気。
 だから悪さを働いている電気系統を
 焼ききってしまいましょう

手術自体に危険性はなかったが
早急に手術を施さないと
「死に至る」こともあると・・・
(死ぬ確率までは言われなかったよな)

変な言い方にはなるが
 最も「死」に近かった瞬間が
 10年前だったことになる

3.11

更にその一年前:東日本大震災

そのあたりから
 老眼!?が急速に進んだり
 心身ともに何だかフワついてて
 しっくりこない感覚があったのは
 後付けとは言え間違いないところだ

震災の被害や避難状況を見るにつけ
「人」として今までの延長線上で
 過ごしてていいのかなぁ・・と嘆いたり

早朝出社や皇居ラン等々
何かを打ち消すかのように
「寝不足+ストレス+運動過多」のオンパレード

有言したことをやり切らないと
 そこから堰を切ったように
 緩んでいってしまうという
 何かに「怯えて」いるような生き方だった

馬鹿に付ける薬はない

今ならわかる
 そんな暮らし振りの駄目さ加減

なのに術後の
 三ヵ月健診でOKを貰った後
 ジョギング開始

ライフワークバランスを整えるどころか
「俺は不死身なんだ」と勘違い

まさか翌年(2013年)の夏に免疫疾患で
 身体が一切動かなくなってしまうとは
 思いもよらず・・・
 (長期離脱からの車椅子生活!?)

【馬鹿に付ける薬はない】とはこのことだ

程々・・

仕事も役割も生き方も
 この10年でガラッと変わってしまった

変わらざるを得ない背景と運命
 様々な出会いと出来事

今思えば
「100人に一人死にます」的な
 刺さる表現を医師から受けた方が
 身体への負荷は軽かったのは間違いない

一方
 この10年間と「今」に至るストーリーは
 これまた捨てがたく代えがたく・・・

無理やりまとめると・・

事実や状況を
 どう受け止めて
 どう対処するかはとっても大事

しかしながら
「人間万事塞翁が馬」ではないですが
 これまた結果オーライな部分もあったり・・・

ただこれだけは言えますよね
「なるようになるさ」的な生き方には
 身近な人(人たち)に
 多大なる不安と
 迷惑をかけてしまう可能性が
 セットであることを(自覚しておかねば・・)


言い訳なのか罪滅ぼしなのか
 感謝の気持ちを「飲み友達(家人)」との
 毎夜のハイボールで誤魔化しつつ・・・

ちょっぴり歪みと兆しを感じる今
 もう少し心身に気を配りつつ
 ・・・整えます

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