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『畔倉重四郎』神田松之丞・・を拝聴

講談を聞いたことがありますか?

講談に興味はありますか?神田松之丞を知ってますか?
神田伯山を襲名したことをご存知ですか?チケットの取れぬ講談師
六代目:神田伯山・・・今日はそんなコラムです

自粛と散歩

以前にも触れた【↓↓腰部脊柱管狭窄症↓↓】のため

https://note.com/tamg0124/n/nd5a5136c4840

ジョギングすらできず
着々と目方を増量中の身(人生MAXかも!?)

A社長に勧めて貰った
骨伝導ワイヤレスヘッドフォン
(オンライン会議にも最適)と共に
好きな音楽を聴いたり
時には古典落語を聞きながら・・

1時間程度の散歩を
ルーティンとしている今日この頃


そんな中
ひょんなことから 神田伯山(当時松之丞)の
「畔倉重四郎」を耳にする
(今年に入って演じたものが
   YouTubeにUPされています)

(決して講談そのものに詳しい訳でもなく)

その内容は・・
極悪非道の男:畦倉重四郎が
どのように殺人を繰り返し
どのように罪をなすり付け
どのように大岡越前に裁かれていくかを
何と19話の構成で
一人芝居の如く「語り」だけで繋いでゆく・・

「一話」あたり20分~30分程度のそれを
四話づつ5日間で演じ切る

時間も長さも感じさせず
グイグイと引き込んでいくプロの技に

「芸」とか「話術」ってひと言で括るには
失礼なほどの凄み

恐るべし伝統芸能・・(正直驚いた)!

価値の提供が収入ならば
己にはそういったプロフェッショナルは
あるのか否か・・・ゾッとさせられたりもした

シンプル

さて・・
名人の噺家による1時間弱の古典落語は
名作映画」って感じだけど

今回のそれは
まるで「連続ドラマ」を
見せられているかのような・・
登場人物の深層心理や人間模様や
時系列や場面設定やサスペンス感・・・

欲や執念といった人間の奥底にある
ドロッとしたものが一話一話に・・・
最後の最後まで
ねっとりとこびりつく
江戸時代のストーリーに

レンタルビデオ屋さんすら必要としない
こんなテクノロジー全盛の時代になった今も

日々の事件や事故
そこにある動機や背景やトラブルの本質
時代を超えても
何一つ変わっていないことに気付かされる・・


一方翻って・・
今突き付けられている日常の大切なことが

「手洗い」や「うがい」といった
これまたテクノロジーとは無縁のシンプルさに・・

我々人間は「動物」であり
心身ともに単純でシンプルな
生身の生き物なんだなって思い知らされる

小さくて儚くて
生き物として抗うことが出来ないモノが
そこには存在し・・
「少し舐めてました・ごめんなさい」って
立ち止まって頭を下げることを
忘れちゃならないなって・・・

ルールの手前にある
現代を生きる上での最低限のマナーなのかなぁ
・・などと感じたりもしている

いろんな意味で立ち止まる時間

ひとり~家族~仲間~職場~社会(消費者)
・・といった環境や立ち位置

「コロナ禍」による《我慢》
その様々なポジションで問われているが

それより
もーっと・ずーっと手前にある
「生きる」ために必要な《辛抱》・・・

その辺のニュアンスを
私たちは随分と前から
端折ってきてしまってたんじゃないのかなって
思わずにはいられない

そのツケが「いま」

だとしたら
順応(対応)する部分と
核に据えておくモノとを
見極められる大人で居たい


話を戻そう・・・
ロックでもジャズでも小説でもエッセイでも
映画でもドラマでも落語でも講談でも
料理でも裁縫でもヨガでもガーデニングでも

若かりし頃のもの(こと)
  ・・でもいいし
手にとって見たかったもの(こと)
  ・・とかでもいい

何だか
わさわさ・あせあせ過ごしていた毎日に

ちょっぴり立ち止まる時間を
示唆してくれているのも「いま」
(なのかなって・・)


畔倉重四郎のエンディング・・
大岡越前の裁きに・・
「最後にひと言何かあるか」と問われ

「俺は地獄に行かない
 今の世の中を我慢しながら生きてる
 お前らの方がよほど “地獄” よ・・」

というような件で終わる


このタイミングで聞けたこの講談・・・
私には勝手に諸々が刺さった(気がした)

お時間あれば・・
ご興味あれば・・
是非ともトライしてみてください
(長いっすよw)

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