21歳で未婚の母になると決意した~母の日スペシャル
グーテンモルゲン、ドイツからTamamiがお伝えします。
この記事が、どこかの誰かに届けばいいなと思って書きます。
※今回のブログは私の一部のヒストリーであり、何かに意見して書いているわけではありません。
親には反対されていたので、絶縁を覚悟で子供を産んだ。
相談一つしなかった。妊娠を告げたのは妊娠5か月たってから。
相手の事は言わなかった。
とにかく一人で産むんだ。そう決めていた。
誕生日の日。母親から電話がきた。
22歳になった。
その時母親は、「誕生日おめでとう、子供はあきらめなさい」この二言を言った。
すぐに、電話を切った。
誕生日ケーキを見ながら悔しくて泣いたのを覚えている。
周りで早く産んだ友達もいなかった。
ママ雑誌を買い、ママになる日を待つ中、不安や孤独はあった。
お産の当日まで、親には会わなかった。
父親には、陣痛が来て子宮口がかなり開いてからメールした。
父は、病院に来たがっていたけど会いたくなかった。だから陣痛来てから言えば東京まででてくるのに間に合わないだろうと。
それでよかった。
病院で生まれる直前に、看護師さんが私のところにきて、お父さんがきてますよといった。
なんで来たの。
一人が良かった。それでも、父は私の手を握り、頑張ってねと言ってくれた。
お産には計り知れない痛みがあった。
体の力の抜き方がわからず、痛さが怖くて、体全身に力をいれすぎていたらしい。出産を終えた時には、手の爪は丸くなり皮膚を突き刺し血が出ていた。足も同じであった。体中がむくんでいた。
それでも、生み終えた事が嬉しくて、赤ちゃんに会えたこと。この子を守るんだって。
この時は、怒涛の子育てが待ってるだなんて思ってもみなかった。
1か月は家で安静になんて言われて、今で言う外出禁止令みたいだった。
最低限の外出のみ。
夜は夜泣きで二時間も寝れればいいくらい。
抱っこしながら寝たり、母乳が詰まって、おっぱいがカチカチになって高熱がでたりもした。母乳をちゃんと飲めなくて、夜中に毎回悪戦苦闘して。これが毎日続くのか?って夜がきてほしくないって思ったことが何度もあった。
友達からのメール。
今日何してる?遊ぼうよ?
いや、何言ってるんだこの子。あたし、もう母親だよ。
って。
私は、世間にもでれず、友達も減り、一人赤ちゃんと過ごす日々に不安と孤独を何度感じただろう。
話は、自分の人生を変えた日に巻き戻す。
あの日は、私の親友の誕生日だった。
3年間のカナダ生活にようやくの終止符を打ち、帰国した10日後でもあった。
時差ぼけで体がまだ本調子ではなく、よく生理不順になっていた。
東京のど真ん中。待ち合わせ場所の交差点の向かい側にドラッグストアがあって、その隣には大きなパチンコ屋があった。
ふと入ったドラッグストアでまさかね、と妊娠検査薬を買った。
そのとなりのパチンコ屋に入り、トイレを借りた。
そんな21歳だった。
トイレでその検査薬に尿をかけ、反応を待った。全く何も考えてなかったし、不安もなかった。
ただ、生理が遅れていた。
検査薬に太く浮き上がるプラスの字。
え?いやうそでしょ。
カナダから帰ってきて、日本で本格的に就職活動を始め英語を使った貿易事務につく予定だった。
頭の中では、落ち着こうとしていた。
待ち合わせ場所に現れた彼(今の旦那)に、その話を伝えると車のアクセルを猛発信させた。
彼はその当時、既婚者であった。
別居中の身ではあったが、最後にカナダに2週間だけ滞在していた彼。
付き合っているとかではなく、気心知れる友達であった。
2週間のうち1夜だけ共にしたことがあった。
その時は、何も心配していなかった。
私は、浮かれていた。約3年の留学で英語を習得し、なんでもできる大人になったと思っていた。その留学生活にも終わりがきていた。
20を過ぎて、もう自分の責任で生きるんだって。そう思っていた。
その21歳が、選択を迫られていた。
あなたの選択はあなたがし、その責任はあなたが負う。
こんな感じの言葉が脳の中で響いた。
21歳、大人。そう、私が1夜を共にしたことでこうなった。この責任は私にあると判断した。
その責任をもって、私は生む決意をしたのであった。
その彼には、まず、『妊娠しました、安心してください。あなたには一切頼りません。』これが私が彼の車に入って最初に言った一言だった。
親にも言わなかった。
相手が誰なのかも。
病院に初めての診察に行った。
心はまだ、不安でいっぱいだった。
先生が、「ハイ、妊娠してますね。」の一言。
やっぱり。やはり、そうか。
そう心でつぶやいた。
そのあとに先生が続けて。
君がどう選択するかは君しだいだけど、僕はおめでとうと言うよ。
その後、この病院と先生の出会いがなければつらい時も乗り越えれなかったんではないかというくらいいい病院だったなって今でも思っています。出産して一年以内に入籍をするんですが、未婚で生むという決意をしたことは本当に良かったと思っていますし、あの当時の先生の言葉で自分の複雑な気持ちが止み、その瞬間から母にさせてもらったというか、強くなったのを覚えています。
私にとっては、母になる決意自体は簡単なものだったかもしれないが、それからの不安や悩みは一人で解決できるものではなかったです。
人の人生は、色々。その中で、私にとって母という立場から学んだことが一番多く、その人生経験を書かせてもらいました。
人には誰にも言えない話や、不安があります。特に、若くして結婚した人も母になるということはうれしい事だけではなかったと思っています。
このブログから、私が伝えるということで少しでも誰かが救われたらいいなと思っております。
特に女性には強くなってもらいたい。私が弱くて小さいからこそその当時の自分にも言いたい言葉です。
自分の子供がそうなるかもしれない、友達かもしれない、知り合いでもいい。まともな人生がいい人生とは限らない。まともがわからないし、幸せは確定されるものではない。人の人生に正解や不正解はない。その人しかその人生を歩めないから。人は自分の経験したことで、やっと人の気持ちがわかるようになります。苦労もします。そして、いつか新たな幸せも手に入れれると思っています。
皆様にも古くからの友人。仕事をしているから会えた仲間。立場が変わったり、環境が変わってできた戦友がいると思います。
私には、共に戦ってくれた戦友と呼べるママ友がいっぱいいます。
母になれたからできたママ友。
今日は、そんな私の母という仕事を手伝ってくれた友達にも感謝したいと思っています。(兄や、妹、家族にも感謝しています。)
何一つ、私が一人で乗り越えられた壁はなかったと思っています。
だから、弱っている人がいたらいつも気にかけてます。
人は一人じゃ何もできない。
そしてこのコロナでも色々苦労されてる立場の方が多いと思います。皆様がどうかご無事で。
読んでくださって有難うございました。
アウフウィダゼーン。
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