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私が好きなもの



デジタルイラスト練習しないといけないなあ
何か時間をかけて描いてみよう

と思い描き始めてから2ヶ月が経ちました
技術的な問題を解決しようというきっかけでしたが
実際の所要時間は23時間くらいでとってもスローペースで進めましたが
悩み苦しみ「私が好きなもの」についてひたすら考えた結果


めちゃくちゃやってよかったです。


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イラストがなんだかうまく描けない、誰にも刺さらないのは
私に愛が足りないからだ

そんなことをふと思った
私は「相手が好きなもの」を汲み取ってそれを形にすることに重きを置いてきたしデザインやジャグアを描くうえでとても大切な要素であり自分の理想を形にできない人の代わりに私が作る仕事だと思ってきた

「これを描いてほしい」と言われたときそれは仕事としては依頼された図案の一つに過ぎないがお客様にとっては思い入れのある好きなもの大切にしたいものだから相手の好きに寄り添い私も丁重に扱うようにしてきたそれはもちろん正しさだった。

正しいとは思うが、どこか退屈で自信がなくて誰に褒められてもどこか「そうじゃないんだよなぁ」と思ってしまっていた

私は元々趣味と言えるものがかなり少ない、娯楽がなくてもいいと思っていたし一生働き続けていたい!仕事をしていないと私の価値なんて無くなってしまう!なんて思っていたが、人生が進むにつれてそれだけではダメじゃない?薄くない?じゃあ仕事ができなくなった場合の私に何が残るのか?

そう思うと、なんだか満足できなかったり自信がなかったりする現状って、とても大きな問題なんじゃない?

「他人の好きなもののことは考えてきたけど、全然自分の好きのことわかってなくない?」

がきっと私のモヤモヤの原因だった


私は私に全く寄り添えていない
自分の好きなものや愛情もわからないのに他人の気持ちを汲み取ることできてるような気になっていたことを恥じた、好きの具現化のプロになるならばそれくらいできていて欲しかった
自分のためだけに描く絵や自分の欲を絵で満たすことが減っていたそれがとても面白くない、私が面白くないと思うような人間に魅力を感じてくれ!と他人に期待することなんてできない

仕事をきちんとして評価されることで満たしてきた承認欲求も
どこか寂しげになってしまうのはもしかして私自身が実はそこに関わって
いないからではないか、とも感じた。

自信というのは自分の価値や能力を信じること
だとすれば能力に対しての自己評価があったとしても
私の中での価値がわかっていないならそれは自信もなくなりますわなぁ。

好きな人の好きなものって知りたい
好きなご飯をつくってあげたいし
好きな音楽は聴いてみちゃおうかなと思ったり
好みな服装とかお化粧ってあるのかな?やっちゃおうかな?
好きなものをプレゼントしたくて買ってしまったり

好きな人の好きってさらにだんだんと入り込んできて
もっと特別にするものだ、それは自分に対してもそうするべきだ

私のことを心から好きになろうと思った時
私が好きなものをわかってあげなければいけなかった

モチーフや私のそれらへの愛について書こうと思うとどんでもない文字数になったので、だんだん書いていきます。

今回のテーマについては今までの私ってばおバカさんだなあ、と思いましたが自分の考え方がとっても好きなのに記録しないのは勿体無いなということでnoteを始めます。





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