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ものと息をあわせる

福岡に住んでいたころ日本酒が好きすぎて、冬は毎年近所の酒蔵ではたらかせてもらっていました。

上司や同僚にほんとうに恵まれたこともあって仕事はとても楽しく、醸造への興味がもこもこと高まってしまい、3年目、ちょっと特別なお酒のつくりかたをしている千葉の蔵に半年勉強させてもらいに行くことになりました。

その千葉の蔵にいたころのはなし。


わたしの担当は分析といって、毎日発酵が進んでいくお酒から少しづつサンプルをとり、いまどれくらい甘みが減ったか、アルコールが作られたか
ビーカーやフラスコにかこまれた理科室のような場所で試薬や装置をつかって計測する仕事でした。

前の蔵ではある程度機械化されていたところが、千葉の蔵ではすべてアナログ。ガラス製の、壊れやすい器具をたくさんつかう作業です。

とくにアルコール度数をはかるための比重計という道具は、水銀体温計の半分くらいの細さのガラス棒の先が大きくふくらんで筒状の空洞になっていて、底にずっしり鉛の重しが入っているという、気をぬけばあっという間に折れてしまうような、ちょっと罰ゲームめいた形でした。

引っ越しもしたばかり、職場もふくめなれない場所で緊張していたはじめのころは、この比重計や周辺のガラス機器をしょっちゅう割っては杜氏にどなられていました。

もうぜったい壊さないように気をつけよう、集中しよう。。!
と思ってどんなに気を張っていても、ふとしたことで気がそれた瞬間に手がすべってしまうのです。

福岡の蔵でもうっかり器具を壊してしまったことはあったけど、こんなふうに自分で自分をコントロールできないような感覚になったことはありませんでした。

よその蔵で経験があるから信頼して雇ってもらっているのに。。
とへこむ日々。


どうしてこんなにものを壊しちゃうんだろう。。?
とずっと考えていたあるとき、ふと

(わたし、この部屋やここにあるものたちと「息が合っていない」のかもしれない)

と思いました。


人間でも、コミュニケーションがうまくとれていない、呼吸のあわない状態でいっしょに仕事をすれば、摩擦がおきてぶつかります。

同じことが、わたしとこの場所とのあいだで起きているような気がしました。


じゃあどうしたらいいのかな、と考えて

一緒にはたらくひとたちに毎日あいさつするように、分析室とそこにある道具にもあいさつしてみよう、と思いました。


改めて人に話すのはちょっと恥ずかしくもあるのですが
部屋に入る前に手をあわせて、心のなかで

「おはようございます。
 今日も分析をお手伝いしてもらいますね。
 よろしくお願いします。」

と、あいさつすることがおまじないのような習慣になりました。

その日の作業がおわったら、出る前にふりかえって手をあわせ
「ありがとうございました」とあいさつ。


それを毎日やっていると、だんだん
「今日もよろしくお願いします」
と手をあわせたついでに

「杜氏の機嫌が一日よくありますように」
「あの子の風邪が治りますように」
「今日絞るお酒がおいしく呑んでもらえますように」
「蔵のみんなが怪我せず仲良くやれますように」
「福岡の蔵のみんなも元気でいますように」

という感じで、そのとき思いついた
いろんなお祈りごとをする時間になっていきました。

そのあいさつをはじめて二カ月ほど経って、先輩がこそっと

「いま杜氏が
 ”なんかあの人(わたし)、ぴたっと割んなくなったな”
  って言ってたよ」

と教えにきてくれたときは、
ほんとうに嬉しかったのを覚えています。

それから分析室の道具を壊すことなく半年終えられたことは、わたしの中でちいさな自信になりました。


いまもそそっかしくて家のなかでドジなことをしたりしていますが、何かをこぼしたり落としたりこわしたりしたときは

わたし、この場所のみんなと息が合わせられてるかな?
と、確認するようにしています。


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