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頼まれてもないのに。その20(立ち合いの変化について私が思っていること)
大相撲を見ていると立ち合いの一瞬で勝負がついてしまう取組が時折あります。出会いがしら足を飛ばす「け返し」や「けたぐり」という技で相手を土俵に沈める業師も昔はいましたが最近はとんと姿を消してしまいました。ですので立ち合いの一瞬で勝負が決まる奇襲といえば今では十中八九、左右への変化と相場が決まっています。注文相撲とも言われています。
目の前の取組が大一番であればあるほど注文相撲で勝負が決まってしまうとがっかりします。大相撲のファンというのは目先の勝ち負けもさながら、その内容、つまりどんな力比べ、技比べを見せてくれるのかを楽しみにしている人が多いので、当然のことです。
でも、だったら変化なんか最初から禁止しちゃえばいいじゃないかと思われるかもしれませんが決してそうしないのが大相撲のいいところだと私は思っているのです。それどころか。
解説の親方衆は口をそろえて言います、「変化をくらうほうが悪い」と。
変化をくらう力士というのはそもそも相手の立ち合いを見ていません。相撲は相手があって成立するもの。勝ちたいという気持ちだけで相手の動きも見ずに勢いだけ、低いだけの自己本位な立ち合いをしていたら、立ち合い一発はたきの一つでもかましたくなるでしょう。
ましてや相手が手負いのベテラン、負け越しの瀬戸際に立たされている力士であればその場しのぎの変化は十分にあり得ますから念頭に置いて対策しなければなりません。
それらを怠っているのですから、結局変化というものは「くらったほうが悪い」のです。これは大前提の大前提。
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ですがほとんどの力士は注文相撲を取りません。理由はただ一つ。こんなことやってたらいつまでたっても強くなれないから、です。
実際に相撲を取ったことのない私がいうのもおかしな話なのですが、こうして長い間大相撲を見ていると、立ち合い、どんな相手にも怖がらず逃げずにぶつかっていく力士はやはり段々と強くなっていくものです。体も大きくなっていきますし(ぶよぶよとした「デブ」化ではなく、ぱんとした張りツヤのある体になっていくのです)押しきる力もついていきます。
よほどの天才でない限り最初から正攻法で番付上位の力士に勝てるわけがないのです。それでも、怖がらない、ひるまない、実力の限りを尽くして挑戦していくという心の強さ。
心の強い人はそうやって経験を一つひとつ着実に積み上げていきますから、体も積み重ねた経験に伴い、徐々に徐々に強くなっていきます。
その結果、立ち合いの変化を用いずとも、どのような相手に対しても己の力、己の技能で勝てる実力を、時間はかかりますが備えていくわけです。
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さてさきほど、心の強さ、という表現を用いました。
人間は気を抜くとすぐに言い訳をしてしまう生き物です。「でもでもだって」。たしかにその理由はごもっとも。
体が痛いから。力が出ないから。実は昨日怪我したから。
表向きはそうでしょう。でも本当の理由は違いますよね。「まともに当たったら勝てないかもしれないし痛いので、変化しました」。
またはもっと単純な動機「番付を落としたくないから」。
立ち合いの変化というのは恐ろしいもので、一度手を染めてしまうと事あるごとにやってしまうようになるものです。ほら、幕内力士でもやる人はやるし、やらない人は全くやらないでしょう。やる人は決まっているんです。一度やった人はその後よほどの決意がない限り必ずまたやってますね。麻薬みたいだなあと思いながら見ています。
勝ちへの執念ではなく、負けることへの恐怖、かつ負け越しによって本来の実力に見合った番付に己が落ちていくことへの拒絶を、そこには感じます。
多種多様な言い訳の前に人は簡単に心の強さを手放せてしまうからこそ、強くなりたいのであれば変化は禁じ手にしなければならず、実際にそうしている若手は多いのではないかと思います。信じています。
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その一方で積年の無理でケガが治らなくなり「先が見えてきてしまった」力士もまたたくさんいます。それでも力の続く限り少しでも長く現役で稼ごうとするなら、どうしても……
また身体的にこれ以上大きくなることができず、すべての取組を正攻法で取り続けることが現実問題として無理な力士もいます。(それでも変化はここぞという時にとっておいて、普段は前に出る力技、正攻法で勝つ力士たち。なんという勇気と鍛錬)。
そういう力士が変化をしたとて、そこには彼らなりの現実との向き合いがあるので、ああ仕方ないなとしか思いません。だいたい変化したからっていつもいつもうまくいくわけではないですから。相手に見抜かれたらすっとばされて終了ですし。変化して負けるほどみっともないことはないのです。
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ここまでは私にも理解のできる世界のお話。
ところがですね、そういう葛藤も苦悩も、こちらからはまったく垣間見られない、勝つためだけの変化を行う力士が、ごくごくまれに出現することです。
勝つこと自体が目的化しているのか、チカラビトとしての向上心がないのか、そんな先の見えないからっぽな相撲を取る力士でも、何を間違ってか順調に出世してしまうことがあります。
でも勝ちは勝ち。こういう相手に負けるほうが悪い。
こういうのはもう「見ない」ことにするしかありません。心そのものを感じないから、心の強さ弱さですら語れない。
ただ不思議なことにそういう力士は自然と姿を消していくのですね。誰が強要したわけでもなく彼ら自身がその選択肢を自ずと選びとっていくのを何度もニュースで見てきました。
彼らにとっては土俵が居場所ではなかった。だから心をかけることができなかった。きっとそれだけなんだと思います。
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変化はルールで禁じるものではなく、自分自身のために封印すべきもの。変化は己自身への裏切り。
したい人は思う存分すればいい。だけどその負債は将来の自分自身がすべて払っていくことになるだけのこと。
立ち合いの変化をルールとして禁じなかったことで、お相撲さん一人一人、自分自身の心の弱さと向き合わなければ先に進めないようになっているの、本当によくできているなあと思います。
武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。