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頼まれてもないのに。その19(安いもの礼賛社会とその覚悟)


これはホラーだと思います。読み進めるほどに背筋が寒くなりました。

こういう実態を知るたび怒りと無力感に襲われます。私たちはそんなことを作り手に求めてまで安いものを手に入れたいと思ってない。でも作り手の上下関係の中ではそういう無茶が平気でまかり通っていて、私たちはそれを全く知らないまま「企業努力(誰の??)」という名の安さを喜んで享受しているという。

今の私たちの生活って「本来ならその価格で手に入ったらおかしいもの」に溢れているのかもしれません。「その価格」にするためにどんな錬金術が行われているのか。その中には思わず膝を叩いてしまうようなアイデアのWinWinのものもあれば、人の弱みにつけこんで、それでも全く仕事が奪われるよりまし、というものもあるのでしょう。

だからといって、今の私たちに何かできることがあるのか。抵抗するすべはあるのか。一つ一つの告発があれば、それらに対して不買という抵抗の仕方もあるでしょう。でもそれって、Aという安いものを買わない代わりに、Bという別の安いものを探してきて買うだけのことですよね。

だって安いものを買う、これ、私たちのニーズに合っているから。ニーズに合わないことを無理にするのは、とてもとても骨が折れます。目の前に安いものがあるのに「社会正義」という動機だけでわざわざ高いものを手に取るのはとても不自然なことなので、どうせすぐに元の購買行動に戻るだけです。

ましてや品質は同じに見えて、値段だけが違ったら? 高いほうを買ったら損したと思いますものね。本当はこっちの値段で売れるよね……ぼったくりだと。一つ一つの商品に人件費がポップアップされるわけでもないですし。いや、それがわかったからって、結局安いほうを手に取ってしまう。人のことよりも自分のことを、なんだかんだ理由つけて、優先してしまう。

選択肢がある以上、私たちは自分たちが最も得する選択をします。それがわかっているから企業だって、企業として最も得する選択をし、その結果選択肢のない人たちがそのひずみをすべて引き受けているのですよね。

そこまで考えを突き詰めてしまったとき、心の弱い人たちは安易に左翼的思考に走り自分だけ罪から逃れた気持ちになるんでしょうけど、私はこれ、きれいになんかまとめないからね。私たち先進国の人間の多くは誰かのひずみの上に生きている。安易に糾弾側に回ったところで何も解決しない。

ただ、知っておくことはとても大事。知っているのに思考を停止するのか、と言われてしまうと、うーん、停止というのではないんだけど、なんと表現すればいいのか……。知っていることで気づかぬうちに購買活動の傾向が変わることもありますから。

ただ、いずれ「こんなこといつまでも続くわけない」がやってくるに決まっているので、私たちの生活ががらりと変えられてしまったその時、その現実を痛みとともに受け入れる覚悟の基盤とするためにも知っておかなければならないなあと。

私たちにはそれしかできないかもしれないです。

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私たちは安いもの礼賛社会に漬かりすぎているな、と感じます。

Yahoo! Japanを開くと、100均あるいはプチプライスの商品ばかりが宣伝記事にされ、並べられています。私の検索およびアクセス傾向を学んで(でもそんなに検索してるかなぁ……)私のページだけがそのように最適化されているだけかもしれません。でもそういう記事は確かに多く存在しているのだから、全体的にニーズがあるということですよね。

何年ものの品質よりも今日明日そこそこ使えて気兼ねなく捨てられるもの。私たちの価値観はいつの間にかそうなっていました。

品質のいいものを手間暇かけて大事に使うほどの時間も余剰エネルギーも残っていない人がきっと多いのでしょう。いや本当はやりくりすればあるのでしょうけれど、その時間と手間暇は、日々のストレスにやられた心を癒すため、ゲームや動画、SNSに全力で費やされているのかもしれません。

かくいう私だって、そうです。いや昔の人だって本当は、高いけど質のいいものよりも、安くて選べて多少質が悪くても普段使いに困らないものが溢れていれば、そちらを選んだに違いない。選択肢がなかったからこそ数少なく良いものを作り、結果としてその優れた使い勝手を享受することになった、それだけかも。

買うことは気晴らしでもあるから、年に1回良いものを買うよりも、その都度その都度、安いものをバンバン買えるほうが楽しいし。

狂ってる。

でもこの狂気のおかげで、私たちは楽しく安全で豊かな暮らしができているのかもしれず。

この先強制的に世界が、社会が変えられてしまい、正気を取り戻す機会が訪れるかもしれませんが、果たして正気の世界が私たちにとって本当に望ましい場所なのかどうか、その時になってみないとわかりません。

でもなんとなく、そういう未来は訪れないほうが、私たちの大半にとっては幸せなんじゃないかなとぼんやり思うのです。



武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。