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頼まれてもないのに。その16(ポテサラ騒動@twitter)

一部のTwitter界隈にて昨日から白熱が止まらないポテサラ騒動。元ネタはこのつぶやき

このつぶやき自体は、まあありそうな話。常に世を憂いては不平不満をまき散らしあちこちで顰蹙を買ってんだろうなというタイプの爺様に、おそらくちょいとお疲れ気味の子連れママが嫌味言われちゃうという、実際に目撃してしまったら、このツイート主のように何らかの形でママさんの味方したくなるであろう、そんな一コマ。

それにしては皆の食いつきがよすぎる。うざいくらいに食いつきがよすぎる。なんでだ。タイムラインがこればっかりになり、一晩たってもまだこの話題やってて、私、いい加減イライラしてきたぞ。

イライラしてもただでは起きぬ。市販のポテサラ買うごときで、なぜここまで皆がムキになっているのか、考えてみました。

ポテサラ、それは。

「ちょっと頑張ればたしかに作れるんだけど、かといって一からわざわざ作るにはちとめんどくさいという、簡単とも難しいとも言い難い微妙なライン上にある副菜」

だからだと思うのです。(主菜ではなく、副菜、というところもポイントだと思う)。

たしかにね、その気になれば作れるんですよ、ポテサラくらい大抵の人は。でもね、けっこうめんどくさいの。ちょっと食べたいな~と思って作るには材料の量がなにかと半端でさ、作るならどっちゃり作って数回に分けて食べればいいんだけど、そこまでの熱意はないって時もあるじゃないですか。

そもそも芋むいてゆでるてつぶしてにかかる時間と手間が、ちょっと箸休めに食べたいだけなのにって時にはけっこうつらい。手がかかるの芋だけじゃないし。たまねぎは水にさらして辛みを取り除きたいし、きゅうりとにんじんも塩を振って水気を絞っておきたい。しかも野菜全部薄切りだぞ。ああもう短冊に切って和えるだけのハムが死ぬほどかわいく見えてくる。

しかもここまでやって! こいつ、ただの副菜なんだぞ!! メインのおかずにならんのだぞ!!! どういうこと???

だから世の奥様は買うんですよ、買い物ついでにポテサラを。

ただ、同時に自覚してもいるんです。「これ、私が頑張りさえすれば、作れるんだよね……」とも。

つまり私たち、普段は意識していないだけで、ポテサラを買うという行為の中に「ちょっと頑張れば作れるのに作らない」ことを選んだことに対する少しばかりの罪悪感をしのばせているのかもしれません。

件の爺様は、この絶妙な罪悪感をピンポイントでついてきたんだと思うのです。そしてこの、どうせただの憂さ晴らしに過ぎなかったはずの攻撃が、ツイッターを通じて、自炊をする全私たちにも広く深く刺さってしまったのでは、という仮説。

そしてそんな己の罪悪感を振り払うため、執拗までにポテサラの話題をつぶやき続けるという。

たぶん私は、その不純さを勝手に感じとり、イライラしているのだと思うのです。だからこの先に書き連ねることは、まったく的外れな発言かもしれませんが。

あのさ、堂々としましょうよ。買っていいんだって。だって売ってるんだもん。誰が何を言おうが、売ってるもん買ってひとつも悪いことなかろうよ。経済まわるし、食品ロスだって防げてるわけだし。ポテサラなんて気力のあるときに好みのおいしいやつ、多めに作ればいいんだよ。

ポテサラ買うのは手抜きですよ、ええそうですよ、だからなんですか、と開き直るしかないんです。

そりゃ実際に不意打ちでこんな嫌味くらったら、ものすごく傷つきます。ショックです。ましてやお惣菜売り場に行くというシチュエーション、疲れてるんですよ。そんな時にくらうんだ、ダメージ倍増です。

でもね、どんな選択でも手放しに認めてもらうとか、同意してもらうとか、そんなの無理ですよ。ありえないです。世間って理解ある優しい人のほうがほとんどだと思っているんだけれど、意地悪な人も、少し、います。そんな少数派にいちいち反応するのも、それはそれで世の中に無菌状態を求めすぎというか。

私たちが日々選択するひとつひとつの行動には、いつだって「選ばなかった行動」に対する少しばかりの罪悪感が常に潜んでいて、それらを攻撃してくる人達にいちいち傷ついては己を守るためムキになるのではなく、「確かにそうなんだよね、でも仕方ないじゃない」と己の罪悪感ごと笑い飛ばし開き直る強さこそが、ほんとうは必要なんじゃないかなと、この騒動を通じて思ったわけです。


武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。