頼まれてもないのに。その17(Go To の前に大切なこと)
ニュース疲れ。おんなじ話ばっかり。Go To だろうがなんだろうが受け入れ先がWelcomeしてくれるんだったら行きたい人は勝手に行けばいいじゃないか、という感想しか持てなくなってきました。
まあこんなキャンペーンしてもしなくてもこんな状況下じゃ旅行する気力すらわかないので私には関係ないんですけどねと無防備に構えていたら、あらら東京は対象外ですよ、って。んーこれ、まったく好みじゃない異性から「お前嫌い」と一方的に言われたようなもんで、実害は何もないはずなのになんだか不愉快さだけが残った感じ。
観光業界が壊滅的なのは重々承知です。観光って、庶民の懐と心に旅行するだけの余裕があって、かつそれこそ三密の真っただ中に突入しにいくようなものなんですから(まったく不人気のところを選んでいけばそういうことにはなりづらいかもしれませんけど……そういう観光地って、行きたい?)、この状況下、人を集めるのはまず無理ですよね。だから国がこうしてなんとか救済しようとしているのも分かる。分かるんですけど、どだい無理だぁ。
観光ってのは、それこそ高度成長期、バブル期の象徴みたいなもんじゃないですか。安定した暮らしの確保が大前提としてあって、プラスアルファとして初めて成立する業界なんですよね……
ましてやウイルスは人が運ぶというのに。しかもババ抜きじゃないんですよ、ジジ抜きです。誰が「ジョーカーにあたるそれ」を持っているのか、本人すら分かってないの。
そうだとしてもこんなお得な時に旅行に行かない手はない!と心浮き立つ鋼のメンタルの人たちが少なからずいらっしゃるのでしょう。すごいことですよこれ。不安を煽る報道で溢れている中、それら一切自分には無関係なものとして聞き流し、お得情報だけピックアップできるんだよ。こういう人たちってマイナポイントも申請してそう。
とまあさんざな書きっぷりをしてきましたが。
でもね、私たちの生活を支えてくれていたのって、実はこのタイプの人たちのフットワークの軽さと人付き合いの良さ、必要以上に貯めこまず、入ってきたものは好きなものや楽しみのためにじゃんじゃん使ってくれるという気前の良さ、金離れの良さのおかげだったのではないかしら、と。
図らずも新型コロナウイルスに感染してしまった方々の報道を見るにつけ、人が好きで楽しいことが好きで、その結果観光業界や飲食業界、そして芸能関係に自然な形でお金を流通させ経済を回してくれていた人たちが、残念ながらウイルスを運び拡げてしまったという、ここにやるせなさを感じます。
旧約聖書にバベルの塔というエピソードがあります。あれは人類が天にも届く高い塔を一致団結して建てようとしたことで神の怒りを買い、二度と団結できないよう人類の言語がバラバラにされてしまうお話ですけれども、今回のコロナ禍を見ていると、バベルの塔が縦ではなく今度は横に拡がっていったので、疫病を使って人類が物理的に集まること自体を分断しにかかってるんじゃないか、なんて思えてきました。あくまでも妄想ですよ。
何を言いたいかというと、人が集まらなきゃ感染は沈静化します、でも人が集まらなければ私たちは経済を回せないし、今の時代は経済という砂上の楼閣かもしれないけれど、でもその楼閣のおかげでさすがに全員ではないけれど裾野ひろくそれなりに豊かな生活が可能になっているわけで、で、その経済をとても自然な感情から回してくれている人達がその結果新型コロナウイルスに罹患してしまったとして、そのこと自体を私たちは責めていいのかな、いや、それは違うような気がする、と思うのです。
もちろん感染をそれ以上拡げないこと、封じ込めは大事です。マスクや手洗いといった地道な感染予防を一人一人が心がけることも大前提だと思います。でもね、ということ。
そこでタイトルに戻ります。
Go To キャンペーンの前に私たちが考えなきゃいけないこと。
感染した人を責めない。感染元となった人や施設を責めない。そして不運にも罹患した、または罹患の流行となった施設に関わる人達の、収入・住居含めその後の生活が脅かされるようなことなど、絶対にあってはならない。
私たち「未だ感染せずに済んでいる」側に、それだけの覚悟が育っているでしょうか。
未だに「そんなところ行くほうが悪い」「対策してないほうが悪い」の自己責任論で片づけ、時に嘲笑すら含めたりします。どうしてって?簡単なことです。うつされたくないからね。
差別はいけないと言いながら、こうして一方で差別を正当化する動機は次から次へとあふれ出る、今私たちはそれに直面しています。それに打ち勝てますかね、私たち。
そこの覚悟がまったく育ってないまま、国としても社会全体としても何の保障も用意していないまま、経済効果第一にGo To キャンペーンを推奨するのはあまりに無責任ではないかと思うのです。国民は経済の捨て駒じゃないんだ。
東京に住んでいるからこそ明日は我が身という思いで日々暮らしていますし、もし万が一かかってしまったら病気そのものよりも、回復後のその後の生活はいったいどうなってしまうのだろうかと、こちらのほうがよほど心配です。
感染はうつしたほうもうつったほうも不運である。誰にも責任はない。
そのコンセンサスが社会全体として今後どれだけ得られるか。ウイルスに負けないというのは、そういうことだと思います。
それがないのであれば、引き続き最低限の外出に留め、万が一感染しても私たちには非がないのだと申し開きができるよう、静かにこもり続けるしかありません。
武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。