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頼まれてもないのに。その15(自己中が最適解かも?)


私、今ちょっとびっくりしています。

アクリルたわしは環境に優しくないかもしれない、だと??

国がレジ袋削減に着手した理由の一つでもある、海洋に放出されるマイクロプラスチック問題。このマイクロプラスチックが洗いものをするたびアクリルたわしからも出ているかもしれない、という記事を2019年1月8日付の西日本新聞が出しているのです。あくまでも「かもしれない」の話ですが。

「ここ数年のアクリル毛糸で作ったアクリルたわしって汚れ落ち悪くない?茶渋が全然落ちなくなったんだけどももしかして毛糸の品質落ちてない?」という記事を書こうとして検索かけたらこれだもの。参っちゃう。

-しかしこれはエコ界内ゲバの序章に過ぎなかった。次回「エコ界の仁義なき戦い:エコバッグを毎日洗うことで海洋汚染が進む!?」乞うご期待!

……あれ?いつから私たちは海洋汚染を第一に判断しながら生きるようになったんだ。そりゃね人類もまた海から生まれた生き物だし、様々な生き物が共存することこそが私たち人間の暮らしも守り豊かなものにしてくれていると思っていますから、海洋環境に全く無神経でいいかというとそれはそれで極端な話だし、ダメだろうと。

だからっつって、ねえ、なんだろね最近のこの「エコ信仰」。エコであれば素晴らしい的な。サステナブルって素敵、みたいな。ああもう取ってつけた横文字使わず何回も使いまわせるって素敵って言えよ。日本人なら原点に戻って風呂敷使え風呂敷。

……えっと落ち着いて。

なんだろね、私たちはこういう熱狂をすでに何度か繰り返し経験してきたわけです。最初の記憶は割り箸だったな。割り箸は森林破壊ってね。実際には間伐材等を利用したものが多かったようですが。プラスチックを燃やすと有害物質が出るからリサイクルしなければ!というのも現在進行形であります。これも程度はあるでしょうが、高性能の高温焼却炉で焼いてしまえば有害物質が出ない上にプラスチックが程よく燃料になってくれて一石二鳥。そして今度はレジ袋が槍玉にあげられた次第。これら一連の定期的に繰り返されては否定される(今回の熱狂もいずれ否定されるのでは?)ムーブメントってなんなの。

「エコかどうか」つまり「地球にやさしいかどうか」を基準に人間の行動を規制しようと思ったら、間違いなく人間がやることなすこと全部エコじゃないし地球に全然やさしくないと思うんですよね私は。そのことに気づいちゃったら最終的には私たち、人間であることを全否定しなきゃいけなくなりますよ、極端なことを言えば。

エコ運動の側に立てちゃう人達ってのはそのあたり狡猾だなと思っていて、人間のくせに地球側に立つことによってせめてご自身だけは地球から免罪してもらえると思ってそう。そんなわけないじゃない。同じ人間なのに。しかもそうこうしているうちにエコ界内ゲバの罠(エコだと信じてたのに全然エコじゃないことしてた)にはまっていくのですよ……

私はアクリルたわしを作るのも使うのも好きですし、エコバッグも市販品をいくつか持ち合わせ、身近なもので手作りするのも大好きです。でもそれは地球のことを思ってではなく、そのほうが私の生活に合っていて便利だと日々感じているからです。アクリルたわしは汚れ落ちがいいうえに自分で作れば安いし、レジ袋をもらいすぎても全部が全部ゴミ袋として転用できるわけでもないですから。ただ捨てることになると分かっているならもったいないのでエコバッグ使いますよ。

結局のところ、私たちが人間として文明的にこれからも生きていきたいと願うのなら、私たちのやってきた、そしてこれから重ねてしまうかもしれない「悪さ」に対し、今後ある程度までは開き直る必要が出てくるのではと思ったりするのです。私たちのためにこうするんです、と。この判断はエコじゃないし、地球のためにもならないかもしれないけれど、私たちにはこれが必要だしこれが現時点での最適なやり方だと思うから、やります、と。

もちろん、だからこそすべての行動が肯定されていいとは思いません。あくまでも自己中なのだから、その悪影響は最低限に留めなければならないと思います。

そのバランスを取るの、そんなに簡単ではないですけどね、でもそうやってバランスを取りながら日々の生活、人間としての生産活動をしていくしかないのでは、と思っています。

くれぐれ安易な免罪系の熱狂にご注意を、です。まあ私たちがどれほど注意深くしたところで、上のほうで勝手に決まっちゃうんですけどねえ……


武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。