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頼まれてもないのに。その24(勝ち馬に乗り続けていないと耐えられない人達)


野球の話で恐縮です。ソフトバンクはロッテが苦手。

もう否定しようがない事実になっちゃいましたねこれ。ファンが薄々感づいていたソフトバンクの弱点を嫌というほど突いてくる。ソフトバンクの選手はよくやっているんですよ。他の4球団との対戦状況を見てたら戦力の問題でないこともよくわかります。

対してロッテ、他の4球団に対しても強いとは必ずしも言えないどころか今のところ2球団には負け越しているくらい。

それで勝てないんだから対策されている以外の何物でもないということ。

それまではどちらかというと「お得意様」だったロッテです。殴ったほうは忘れても殴られたほうは忘れないってやつでしょうね。ソフトバンクについて相当分析したことがうかがえますし、しかもその分析結果を今のところほぼ完璧に実用化できている。それがこの結果。結果は嘘つかない。

ああもういや。

今年はコロナ禍の影響でパ・リーグのクライマックスシリーズは1位と2位との対戦になるそうですが、このままだと順位は前後するとしてもソフトバンクとロッテで決まりになりそう。その場合、現時点のままではソフトバンクに勝ち目ないよね。

地元ではなく好きな選手基準でこれまで推し球団を選んできた私は、実は「徹底的に負けが込む」状況にほとんど慣れていません。そのあたり地元愛にもとづく純粋な思いから球団を応援する人たちには到底かなわないし見習いたいと思うのです。

ほんとこの程度で文句言ってたらあかんて。君じゃあ今まで何を応援しとったんや、何がほんとうは好きで応援しとるんや。負けている時ほど人間の真価が晒されるっちゅうこと、そう、君いま試されてんねん。(いいけどなんで関西弁なん。盲導犬のCMか。)

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そんな「負けてんのきらい」な私ですらドン引きするのがヤフーコメントの数々。いっときますけど現時点でまだ首位ですし、今後ロッテに抜かれたとしても2位ですからね。Aクラスですからね。

すごいよこの程度で監督クビにしろ発言。ベテランをフル活用し若手は完璧に育てあげ捕手はすべての打者の裏をかき全試合勝つくらいの采配をふるわないとダメなんすね。

野球って一チームだけでやってるんじゃないってこと、わかります? てかスポーツ全般に共通することですけど、スポーツって相手がいて初めて成立するもんなんですけど、それご存知ですか。

私だってね負け続けるの見てるの嫌よ。しかもあからさまにカモにされてるっての、本当に嫌さ。でもさこれまでソフトバンクが勝ち続けてきたのもつまりはそれの積み重ねであったはずだし、今までやってきたことをついに今、やり返されてるだけなんだよね。

今まではやる側だったから気づかなかっただけでやられる側になった途端、口汚くて極端な采配批判に走るのは、まあそれだけ悔しくて仕方がないってことなんだよね、そこは分かるんだけどね、分かるんだけどさ。

なんか違わないかいそれ、って思うんですよね。

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なんていうのかな、ファンの目線というよりもそれって「俺が応援するのは完璧に強いチームであらねばならない」みたいな条件付きの愛というか、応援するチームがそこにあるというよりは、俺の応援するチームはこうであらねばならない、という「ぼくのかんがえたさいきょうのちーむ」みたいな。なんかそんな感じ。

自分の理想通りに事が運びさえすれば負けるはずがないというか。

完璧主義ゆえの負けず嫌いなんだろうか。いや、負けず嫌いだからこその完璧主義なのかな。

そしてこの究極的な負けず嫌いたちは、必ずその矛先を個人に向けるんだね。その個人さえ排除すればすべてはうまく回るはずだって。ことがうまく回らないのはすべてその個人のせいだって。

排除、排除、排除……かならず誰かのせい。排除が唯一の解決法だと信じて疑わない人達。しかもこの程度のことで。

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人は皆、乗れるのであれば勝ち馬のほうに乗りたい。それが本性だと思います。負けるのはいや。悔しい思いをするのはいや。

だけど一方で、負けを負けとして、一心同体として受け入れられる人たちもいっぱいいます。負けた、くやしい、でも次はきっと勝てる、次はきっと勝とう、勝つまで応援しよう、と。

後者のほうがつらく、たいへんな道のりです。でもこの人たちは絶対に裏切らないよね。簡単に見捨てることもしないから、人として信頼できるよね。

負けた途端「ほらみろだから俺は言ったんだ」みたいな奴らが、一番信用ならないし、最低なんですよ。

その一言を放った途端、その人は負け犬から一転、勝ち組に転身できるのです。魔法の言葉さ。弱いという状況や悔しさを保ち続けることにとても心が耐えられないから。

そして、こういう人達、案外どこにでもいるよね。

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ここでは野球の話をしましたけれど、身の回りを見回すと、様々なシチュエーションにおいて声高に批判をしてはばかることのないような人たちの中に、こういう人達けっこういるなあと思っているのです。

批判を口にすることで人は自分が強く賢くなれたと錯覚するんですね。

しかも黙っていたら責められる側かもしれないけれど、批判をする側に率先して回ることで、責めを負わせる側へといとも簡単にジョブチェンジできてしまう。

だけどね。と私は思います。

あなたはそうやって次から次へと勝ち馬に乗り換えていく。あまりにも華麗に、あまりにも自然に。

でもあなたは今、いったいどこに立っているの? どの立場から話をしているの?

あなたが「批判をする前に立っていた場所」を、「そのままそこにいれば、あなた自身が批判される立場になる場所」を、往々にして私たちはよく知っている。

その過去を全くなかったかのように振る舞えるのは、なぜ?

その批判をしているあなたは、今、いったい「だあれ」?

いったい誰の代弁をしているの?

その都度その都度仮面を取り換え、当事者意識の全く欠けた空虚な立ち位置からものを言うのは、もうやめにしませんか?

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生まれた時から背負う属性、生きていく中で選び取っていった立ち位置、そのどれもが、いつもいつも誇りあるものとして評価されるとは限りません。ある時には不当に貶められることもあるでしょう。悔しい思いをしなければならないことも、あるはず。

だからといって「私は違う、同じじゃない」とすぐに逃げ出す癖があるのなら、それがどれほど卑怯で弱虫なことか、社会全体でもっと意識されてもいいのではないでしょうか。

弱さに身を置かれることから逃げない、強い人間でありたい。

そんなことをふと思った週末でした。

武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。