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頼まれてもないのに。その8(立ち止まると歩けない?)


しまった。一週分飛んでしまいました。

不思議なもので前回書き終えた時には「次はこのテーマで書くぞ」という思いはあるのです。ただそれを「来週」書けばいいと思ってそのままにしておくと、このように一週飛んでしまうという。

言い訳をすると先週はツイッターのほうで呟いたことをアメブロでまとめていたのでnoteを更新する時間が作れませんでしたなのですが……言い訳になってないなあ(ちなみにアメブロのほうがここよりさらに読まれてません)。

今、各所でお仕事の自粛等されている方が多いですけれども、皆さんがもしかすると一番怖いのは、「曲がりなりにも少しでも動き続けていればいつでも加速はできるけれども、完全に止まってしまうと次に動き出すだけの力が残っていないかもしれない」かもしれないな、と思ったりします。

人の心にも力学の法則みたいなものがあるのでしょうか。曲がりなりにも動いていれば惰性でそのままやっていけるものが、止まってしまうと動かすためには今まで以上の気力を必要とするといいますか。あるいは自動車のように、走らせていれば自信がバッテリーボックスの中に貯まっていき、少しくらいの停車状態なら特に問題はないけれど、そのままが続くとバッテリーボックスの自信が空になってしまい、全く動けなくなってしまうような。

話を戻します。とにかくまあ一週飛ばしても「頼まれてるわけじゃなし」、何事もなかったかのようにこうして書いちゃえる面の厚さで、惰性をなんとか持続しました。

もともとアメブロのほうで、日常や趣味のことで考えたことをまとまりなく書いたり、日々思いつきで呟いてるわりには内容的に捨て置きがたい一連のツイートをまとめたりしていたのですが、そういう「なんとなく漫然と」ではなく「テーマを絞った一つの読み物」として成立するまとまった文章を書く練習もしたいなと思いnoteを始めたわけです。するとこの「一つの読み物として」という部分が私の中で重荷になってしまい、「読み物としての完成度」を気にするようになってしまっていたのですね。いや完成度は大事なんですが。

思うに私の書くものは冷蔵庫のありあわせでつくったまかない料理みたいなもので、お金出して食していただけるような材料のクオリティも調理のスキルも人に食して頂くという思い入れも、全くないとまでは言いませんがあまりに薄い代物なのです。でも、それでも「文章を作る」ことに私自身が少なからずの楽しみを見出しているなら、今週はこんなまかない料理を作りましたよ、と、恥ずかしながらもお披露めを続けていけたらと思うのです。

うん、完成度を過度に気にするの、やめよう。

己を最も残酷に批評する者は、他の誰でもない、自分自身。往々にしてよくあることです。己の口を己でふさぎそうになったら、とりあえず、何か書こう。まずはそこから。



武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。