カジイクジオヤジ

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最近の記事

「ぼくら三人にせ金づくり」

この本は自分が小学生のときの夏休みの課題図書だった。気になって三十年以上ぶりに読んでみた。 この絵は印象的で本当によく覚えていた。貧乏でおからをご飯として食べていたところ(この本を読んでから自分の家では出てこない「おから」が気になってしょうがなかった)、10円の色を変えて100円として使ってばれるところ、ところどころ覚えていて、結末は忘れていた。(そんなに結末は重要でなかったりする) あらためて読んでみて、そんなに深さは感じない。すごい教訓が得られるか、というとそんなこともな

    • 小田嶋隆さんを悼んで

      小田嶋さんが亡くなったというニュースは本当にびっくりした。あまりにも突然で。「まさか」そして、悲しかった。いなくなってしまうなんて…。寂しいな。 心からのファンだった。なんだか得たいの知れないTwitterを使い始めたのは小田嶋さんがTwitterをやっていたからだ。最初にフォローしたのはもちろん小田嶋さん。小田嶋さんを信じていたから小田嶋さんがフォローしていた人を一括でフォローしてTwitterを始めた。Twitterの世界に導いてくれた人。小田嶋さんがいなければTwitt

      • 泣くな赤鬼よ。賢くないぞ。

        小学生の息子の宿題で国語の教科書の音読があり、久しぶりに「泣くな赤鬼」を聞いた(読んだ)。以下、「泣くな赤鬼」を酷評することになるので気分が悪くなる人はここでやめておいた方がよいかもしれない。 この話は、人間と仲良くなりたい優しい赤鬼が、あにはからんや人間から恐れられてしまって困っているところを、友達の青鬼が一芝居うって、わざと人間の家に入って大暴れし、それを赤鬼がやっつけ手柄をたてさせてあげる。その結果、赤鬼は人間と仲良くなる。青鬼は実は赤鬼と仲間だと思われたらいけないの

        • 次に続く人のために

          尊敬するつくろい東京ファンド代表の稲葉剛さんがハートネットTVで「あなたの(生活保護の)申請には、次に続く誰かの背中を押す力があります。(だから躊躇なく申請しましょう)」というメッセージを送っていた。(こちら)心に響いた。そうなんだ。一人の小さな申請が、他に続く人の血路を開くことになるかもしれない。自分のためだけじゃない。困っている他の人のためにも、社会のためにもなることだから勇気を持って申請してほしいと思う。 貧困の問題は当事者一人一人の問題にしてしまってはいけないのだと

        「ぼくら三人にせ金づくり」

          「生きている不思議 死んでいく不思議」『いつも何度でも』(覚和歌子 作詞)のフレーズ。生きていることは実は不思議ではないだろうか。そして命が尽きるということもまた。今ここにいるということもよくよく考えると不思議だし。時間が経つとここから去っていくというのも不思議。なんでそうなっているのかよくわからない。 詩は日常の当たり前の視点、感じ方を打ち破る力がある。ハッとさせる。「そんな見方もあるのか」、と。当たり前と思っていた見方というのは、本当は思い込みでしかなく、人生の真実を覆

          兄の命日

          昨日は兄の命日だった。あの日からもう11年になる。前日までの闘病の苦しみとは対照的に、あの日はよく晴れた清々しい日曜日だった。スキルス性の胃がんが見つかって約一年、享年34歳だった。数年前にエリートコースの仕事をきっぱり辞めて博士課程で勉強中だった。病気になって未来が閉ざされてさぞ無念だったろう。抗がん剤治療の苦しさ、抗がん剤が効かなくなってくる絶望感。今思っても胸がぐっとくる。涙が出てくる。いま生きていたらどうしているんだろうか。もし寿命を分けてあげられたらって、きっとどの

          偉くなりたい

          「俺の青春は雲一つない空のように、まだ青く晴れわたっている。偉くなりたい、また金持ちになりたいと願うことは、嘘をつき、頭を下げ、へつらい、偽ることを自ら決心したことではないか。 バルザック」 私が一番始めに就職した会社では、派遣されて別の会社に行って働いていた。同じ会社の3年先輩と二人で派遣先に行ったことがある。その先輩は新人の私に無意味に厳しかった。ことあるごとに力を顕示するようだった。「自分は新人のあなたより立場が上だよ」と。のちに聞いたところでは、その先輩は別の派遣先

          哲学者には、なれなかった

          私が高校の時になりたかった憧れの職業は哲学者だった。三木清の「人生論ノート」とくに「パスカルにおける人間の研究」を読んだときの感激は今でも覚えている。自分の人生を一歩客観的に見て考えてみることの自由さと楽しさ。重要な箇所として、ほぼすべてをA4ノートに書き写していた。大学では迷わず文学部哲学科を選択した。哲学とは「いかに生きるべきか」を考える学問だと思って入学したのに、それとは関係がちっとも見いだせない難しい用語を使った授業ばかりで、入学して数か月でまたたく間に希望はしぼんだ

          哲学者には、なれなかった

          指輪物語

          映画、音楽、読書に関して、古典主義で流行に乗りたくない。ただ、同時代のものも、いいものは見てみたい。流行が過ぎて少し時が経ってそれでも「いい」と信頼がおける人が言っているとようやく重い腰をあげる。三木道三の「Lifetime Respect」が今私のブーム。流行っている当時は響かなかったのだが歳を取ってわかるようになったということもあるのかもしれない。指輪物語(The Lord of the Rings)に関して、映画では見たことがあったが本では読んだことがなかった。ファンタ

          中学の部活の嫌な思い出

          中学校の時には総じていい思い出がない。今思い起こすと。今も付き合いを続けている友人がいないのがその何よりの証拠。通う中学校は荒れていて、教師の統制も厳しかった。不良にいじめられないように、先生に怒られないように病的なまでに神経質に振る舞っていた。本当の自分の気持ちをストレートに出せないのだから、友人も名ばかりで護身のためでしかなかった。運動会や合唱祭といった行事の練習は何のためだったんだろう?やることがなかったのか、統制のひとつだったのか。 私は野球部だった。野球部だけが丸

          中学の部活の嫌な思い出

          女の如く

          四十代の夫が妻に夫婦生活を拒まれて離婚覚悟で夫婦生活を求める手紙を書いた記事がツイッターで話題になっている。 https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20150714-OYTEW55060/ 女性からの反応としては、夫婦生活を拒まれて暴力や離婚を持ち出すのは脅迫行為で、許しがたいという批判が多い。夫婦生活の頻度や有り様はそれこそ各夫婦の趣向によるので正解があるわけではない。セックスレスが離婚の原因になるので法的にはある程度公式の決着の仕方

          災害

          私が住む関東でも長雨が続いている。九州や中国でも連日の大雨による洪水、土砂崩れが発生している。和辻哲郎が書いたように日本は災害に見舞われやすい国であることを痛感させられる。このところ毎年大雨の被害が出ていて改めて温暖化対策が急務であることを重い知らされている。田畑、家屋の浸水のダメージは深刻で、復旧にそうとうな時間とお金がかかる。懸念するのは「復旧できない」ことだ。災害で住民の方がお亡くなりになればもちろんのことだがそれだけではない。家が倒壊した場合に、お金がなければ当然もう

          叔父さん

          先日、北陸の田舎に住む叔父が亡くなった。90歳を越えていたから大往生と言っていいと思う。私が生まれる前に父方の祖父も母方の祖父も亡くなっていたので、この父方の叔父が「おじいちゃん」の役割を果たし、「叔父」という言葉を知らなかった小学一年生の私は授業でこの叔父に「おじいちゃん」への手紙を書いたのだった。(後日、小学生では読めない達筆の返事をいただいた)叔父と会うのは年一回、お盆の帰省で2週間ほど家に泊めてもらう時だった。私と50以上歳が離れていて、怖くて近寄りがたい存在だった。

          明るみに出す

          新型コロナウイルスの災害のインパクトとして、「隠れていたものを明るみに出した」という感じが自分にはあった。日本社会が抱える問題点や課題をあぶり出した。NPOほうぼくの奥田牧師も同じことをおっしゃられていたと思う。日常的にそこにあったものの、首尾よく隠されていたものが明るみに出された。(それは日本社会だけでなく、私個人の問題も同様にあぶりだすことになったのだがここでは書けない)。自助を強いる政府の不作為だったり、外国と比較したときの政府の対策のまずさだったり、非正規雇用や学生ア

          最初に

          日々の所感をこれから書いていこうと思う。大好きなモンテーニュやアランのような哲学的エッセイになる。願わくば誰からも共感されて、誰からも反対されないといいけれど、まずそうはいかない。世の中には差別や暴力を悪と思わない人もいるし、自分さえよければ自分と違う人は排除されていいという人もいる。(いまの日本はそういう人が増えてるのではなかろうか…。)自分と考えが違う人と議論はしない。血がのぼって自分がバカになってしまうのも嫌だし、議論で相手を説得できるとは思わない。普通、他人から説教さ