指輪物語

映画、音楽、読書に関して、古典主義で流行に乗りたくない。ただ、同時代のものも、いいものは見てみたい。流行が過ぎて少し時が経ってそれでも「いい」と信頼がおける人が言っているとようやく重い腰をあげる。三木道三の「Lifetime Respect」が今私のブーム。流行っている当時は響かなかったのだが歳を取ってわかるようになったということもあるのかもしれない。指輪物語(The Lord of the Rings)に関して、映画では見たことがあったが本では読んだことがなかった。ファンタジーの戦争ものが好きだったので映画を見たのではないかと思う。時を経てようやく本(全6巻)を読んでみた。

今回、本で読もうと思ったきっかけは、ギュゲースの指輪。この指輪は古代ギリシアの話で出てくる魔法の指輪で、指にはめて回すと姿が見えなくなる。羊飼いのギュゲースはこの指輪を発見すると悪事をたくらみ、王を暗殺し王位を奪う。この話はプラトンの記事で詳しく書きたい。すごく重いテーマだ。「人は何でもできる力を持つとき、なぜ道徳的でないといけないのか。」すなわち、「ばれなければいいのか。」倫理の存在意義が問われている。これに答えないといけない。指輪物語の著者トールキンも間違いなくこのギュゲースの指輪の話を前提にして物語を作っている。指輪物語で出てくる指輪は透明になるだけではなく、絶対的な力を持たらす指輪で、すべてのものを誘惑する。それを正しい目的のために使うことは誰にもできない。「強さもよき志をしょせんは続かぬのじゃ。遅かれ早かれ、暗黒の力のむさぼり食うところとなるばかりじゃ」(ガンダルフ)力の本質をついている。力を持つ人は正しい人でも腐敗していく。絶対的な正しさというものはなく、ひとりよがりの正義は他者の権利を奪いやすい。力は独りよがりの正義に自信を与える。「自分は間違っているかもしれない」という躊躇より「相手は間違っている。自分は正しい」という思いに拍車をかける。力の行使は、誰かの抵抗を排除することであり、そこにはある種の快楽がある。それゆえ、力は持っているだけ(抑止力)では満足せず、濫用される傾向がある。人間には手に負えない力の指輪は捨てざるを得なかった。力は理性を奪い、身を滅ぼす。これは物語だけの話ではない。

指輪物語では力の指輪を永遠に壊すための苛酷な旅が続く。そこには、強敵、疲労、飢え、渇き、寒さ、様々な困難と苦痛が待ち受けている。主人公たちの誰もこの旅を強制されていない。自分の意志で参加している。主人公たちは旅を途中であきらめない。この物語は子どもたちに是非読んでほしい。そして「正義のためには力を持たなければならない」と考える多くの大人(ボロミア)にも是非読んでもらいたい。作者はあえて最弱の種族ホビットに指輪を持たせた。敵が来たら逃げ回るしかないけれど今の生活に満足していて誘惑には強い。世界中の小さな勇敢な指輪保持者に誉れあれ。彼らは今でも誘惑に抗して滅びの山を目指している。

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