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表現は、恥ずかしければ恥ずかしいほどいいのかもしれない

「ラブソングを書けたはいいけれど、メンバーに見せるのが恥ずかしいんです」

ラジオリスナーからのそんな相談に、「恥ずかしいってことは、自分の心の内をさらけ出せたということ。僕だって、曲をリリースするときはいつもどう思われるかなって、とても恥ずかしい。表現は恥ずかしいもの。だから表現において、恥ずかしいことほどすばらしいと思うから、自信持って(意訳)」

ラジオパーソナリティもとい、シンガーソングライターはそう答えた。

私が家を出る18のとき、父は私に「たくさん恥をかきなさい」と言った。

意味がわからなくて、今でもずーっとあのときのことを覚えている。

それから言われた通りたくさん恥をかいたけど、ダメなことではないのかも、とラジオを聞きながらあの時の父の言葉を思い出して、自分をなだめた。

新しいことを知るたびに、無知の自分を恥じている。

生意気な自分の言動を、後悔することがとても多い。

世に向けて書く仕事をしているから、未熟なまま書かなければいけないことも、とても恥ずかしい。見てほしい、読んでほしいのにできれば見つかりたくない。

いつだって心を込めて書いた文章や投稿は、すぐにでも消したくてたまらなくなる。

インスタライブだって、本当はとても恥ずかしい。

だけど恥ずかしさを曝け出してきた連続が、新しい出会いや仕事をくれたこともまた事実。

恥ずかしいのは、心のまま生きてきたからかもしれない。

恥ずかしいままで、いいのかもしれない。

そんなことを思っています。

ちなみにそのシンガーソングライターは、我が地元の星、雅治福山です⭐︎


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