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エホバの証人二世として過ごした時期

物心つく前から中学3年生まで、エホバの証人の母親に従って二世として過ごしてたんだよね。

幼い頃は何とも思ってなかった。みんなに可愛がられたし同年代の子達も沢山いたし遊びに行く感覚だったかも。


私は保育園、幼稚園は行ってない。これは宗教関係なく、私が行きたくないと拒否したから。なので集団生活は小学生から。その頃からみんなと同じようにできない事が増えてきた。

みんなと同じようにはできない事


小学校に上がったらまず練習する校歌や国歌は、歌っちゃダメと言われた。小さい私は「そうなんだ」としか思わなかった。


お願い事をするような季節イベントの歌もダメだった。七夕、ひな祭り、クリスマスとか。

一人ずつ歌う歌のテストでみんなが七夕の歌を歌う中、私は一人できらきら星を歌ったのを覚えている。もちろん周りの子は「なんでたまちゃんだけ違う歌なのー?」とか言ってたけどまだ低学年だし大事にはならなかった気がする。

学校全体行事で、七夕集会とかクリスマス会とかがある時も参加はできず、一人校庭や体育館の隅に座って眺めていた。


「お誕生日おめでとう」は言ってもらってたし、好きな物を作ってくれたり、ごくたまに何かプレゼントをもらったりはしたけど、盛大に友達を呼んで誕生日会とかした事は一度もない。呼ばれた誕生日会も全て断ってた。行ってみたかったな〜



よく覚えてるのはこんな感じだけど、小学生くらいまではこれらを特に辛いとは思っていなかった。幸い変なやつと虐められる事もなかったし、先生も同級生達も「そういう家の子だ」と理解してくれてたのでとても助かった。


つづく

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