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なんもかんもどうでもいい日々

今の会社に入ってから、タイトルのように思う事が多くなった。
正確にいうと「思う」という事自体していない。無。
投げやりになっていたり、無関心になっていたりするわけではない。

チームとして毎月乗り越えなければならないノルマがある。そのノルマを達成するために各々が個人的に目標をたてる。その目標を達成できるように給料分は頭を使う。
これだけの事を繰り返していたら虚無虚無ぷりんになってしまった。

仕事への情熱がなく、給料分の働きをしなければ評価はされないだろう。私に情熱はないが、給料分の働きはしている筈なのでセーフだと思っている。
周りにはどちらかというと、仕事への情熱が有り余っている人が多い。いつもすごいなあと思っている。けれど、情熱が燃え続けると「個人の目標」ばかりにフォーカスをしてしまう人が多い気がする。カッコよく言えばキャリア。
仕事や人生のために考える、そして積み上げていくのがキャリアのはずなんだけど、カッコよくってキラキラしたキャリアを得ようと一生懸命になって、人としてよくわからない挙動をしてしまう人が多い。
よくわからない挙動というのは、仕事や人生を無碍にしたりすることだ。(雑で信頼できない仕事をしたり、体を壊すような無茶をしたり)
最初の視点に戻すと、チームのノルマの達成の妨げになるような行為もする。日本には便利な言葉があって、この状態の事を本末転倒という。

情熱人(じょうねつんちゅ)が、覚えたての「結論から申し上げますと〜」構文をドヤ顔で使ったり、覚えたてのGASで「これができるからどうした」というスクリプトを組んだりするのを、私こと、虚無虚無ぷりんはボケっと眺めて過ごしている。
情熱人の群れの暴走にあまりにも長く付き合わされると「遠回りしすぎじゃね?シンプルにこうすれば早くない?」などの口を挟む。
その結果、何故か上司には「視座が高い」と勘違いをされている。最初に言われた時には(シザガタカイ‥?)と更に虚無ってしまった。単純に初めて聞いた日本語だったのだ。
私は今までの人生をこのように過ごしてきたのだが、どんな時でもこの虚無さで、目上のものには好かれ、周辺の人には嫌われたり嫉妬されたりをしてきた。多分今も一部の人には嫌われているのだと思う。

読み返すと、めちゃめちゃスカしてる嫌なヤツだな。
だけど、私は情熱がないだけで実は情熱人と同じくらい頑張っては、いる。
ただ、情熱と同じくらい拘りもないので、ゴールさえ出来れば、タイトルの言葉通り「どうでもいい」のである。
文章上で揶揄はしているが、情熱人たちと仲間として一緒に仕事が出来ているのは楽しい。
悪くない日々を過ごしていると思う。

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