Phantom after the rain

「もうよそう、お互い大人になったんだ。 僕は先に行く」
そう言われたのは2年前。出張から帰って自宅最寄りのバス停を降りて携帯電話に出た時だった。
電話の相手は大学時代の友人だ。

彼とは、ずっと温め続けた物語があった。
大学一回生の時に彼と出会った。彼は開口一番自信満々にこう言った。
「俺は在学中に小説家になる。大学に入ったのは実家を出るためであって、Fランだろうが構いやしなかった。力技で獲得したモラトリアムをフルに使ってやる」
彼は何でも書いた。SF、冒険小説、恋愛もの。毎日書いては僕に見せてきた。そのうち、僕も彼の物語に興味が出てきて、何かやらせてくれないかと前のめりになっていた。
「絵は描けるか?マンガっぽいものがいい。できなくてもいいけど」
僕はその日からペンをとって、好きな絵柄のマンガイラストの画集を買いあさり絵に没頭した。
そうそう、他に彼について言えるのは一つだけ。音楽だった。
ある日、あるバンドのCDを渡された。彼がおずおずと手渡す。彼にしてはどこか所在無げな様子だった。
「俺の目指すものはこれなんだ。俺は真実しか書かない」
聞いてみると、何とも流行りそうもない、ロックなんだか、ポップなんだかよくわからないギターの重なりだった。家族に聞いてみても誰も知らないバンド。
しかし、その音楽は確かに僕の胸に刺さってしまった。
努力の本質をついてる。
それを聴きながら彼の物語に出てくる人物たちに個性を足し、絵にしていく作業は楽しかった。自分の中からもう一つ世界が飛び出してくるような感覚だった。
彼が続きモノを書き始めると、僕は彼の物語の世界設定を勝手に考えて彼にメモにして渡した。どんどん物語は膨らんだ。
彼の作る物語と、バンドの孤独と自由の歌たちに僕の胸はさらに踊って、いつしかそのバンドの歌は彼と作る物語のテーマソングになった。
今ではもう彼岸に見える幻だ。

大学3回生頃に大学生会に誘われて断りきれず、ずるずると会に参加することになってしまった。そして、あっという間に4回生になり今度は就職活動に追われることに。その2年間ずっと彼の方から連絡だけはもらっていたが、時間を作ることができず彼の小説を読む機会も失ってしまった。
とにかく、彼との縁だけは失いたくなかった僕は
「今度描いたイラストを届けるから」
と嘘をついて、その場をやり過ごした。

就職したのは塗装工だった。それも地元の田舎から全国出張する業態だった。何でそんな面倒な会社に就職したかというと、大学4回生の時にあまりに忙しすぎてついに枯れ果て、しまいには内定したのはこの会社しかなかったからだ。大都市に行ける。日本全国に行き見聞を広げるチャンスだ、という触れ込みに興味が湧かなかったわけじゃない。しかし今思えば、素直に就職浪人していればよかったかもしれない。
そうして就職して2年間。
働きながらでもイラストは描けると意気込んではいたが、塗装工はやはり肉体労働であり、慣れない社会でのコミュニケーション、ビジネスホテルでの生活、都会の往来、それに適応するのに手一杯だった。
小説の彼に、今度こそはと嘘をつき続け。
何も手にすることがないまま。
僕は冒頭の、セリフを彼から聞く羽目になった。

あの電話から2年。僕はまた東京にいる。
また春が来て、5月。世間はゴールデンウィーク真っ盛りではあるが、休みの日で人が来ないからこそ、工事ができる場所もある。
その塗装工事の目処がつき始めた。僕はここ一週間、あっさり僕を追い抜いた年下の後輩に指示されながら資材撤収を進めてきた。
それも明日で終わり、明後日には地元に帰れる。
「パイセンこれもよろしくっすー」
ゴミの片付けをしていると、下請け塗装工の坂下さんが声をかけてきた。
僕よりも年上だが身長の低い金髪の女性である。男女平等の世の中とはいえ、そもそも建築現場に女性はかなり珍しい。こうも幼いナリの中学生くらいにしか見えない人はなおさらであった。しかし、一ヶ月も職場を共にしているとさすがに慣れた。僕は小さく会釈をしてゴミを受け取って袋へ。そのまま袋を縛る。
「パイセン明後日帰っちゃうんすか?いじれなくなって寂しい」
僕は初日に寝坊をやらかして以降、こうして職人さんたちに舐められっぱなしである。就職して以来のこんな扱いにはもう慣れた。どこにいたって底辺である。
「パイセン呼びやめてくんないですか」
「いいじゃん記録より記憶でしょ。それよりそろそろ飯でしょ。コンビニいこーよパイセェン」
「下請けと一緒じゃ示しつきませんよ。俺は後輩と……」
すると雨が降ってきた。予報ではそんなこと言っていなかったのに。急な大雨に慌てて後輩が駆け寄ってくる。
「先輩、今日は作業中止で。俺下請け送り出してからホテル帰りますわ。坂下さんも上がってね」
後輩が雨よけにヘルメットをかぶりながら声をかけた。了解、お疲れーと返事を返す。坂下さんにも下請けの親方から声がかかった。
「やれやれ、コレで帰りは延期すかねえ」
坂下さんはヘルメットと安全帯を外しながら言った。
「いや、後作業少ないですし、詰めれば変わらないです」
僕も工具を片付け、資材場を整理し、ブルーシートを被せた。今日のところは店仕舞いだ。
「あたし詰所で着替えてくるんで。じゃ現場前のコンビニっすよ。」
坂下さんはビニール袋を雨よけに羽織って監督詰所に駆けていった。
僕は下請けさんの送り出しをし、現場監督に挨拶をしてからコンビニに向かった。

どんどん酷くなる雨。しかし日は出ているので、いわゆる狐の嫁入りだ。幻想的な都会の風景にアスファルトが鈍く光っている。
僕はコンビニに入ると、カゴをとって雑誌コーナーを周り、ドリンククーラーからお茶を一つ取り、弁当コーナーに差し掛かる。今日は多めに食べてホテルでゴロゴロしていようか。
思案していると、声をかけられた。
「なににするんすか?」
みると、カーディガンにTシャツにジーパン。手首には何やらアクセサリーが並んでいる女性が現れた。一瞬たじろいだが、いややはり。
「坂下さんですか?」
「失礼っすねえ」
この一ヶ月間職場を共にしたが、現場は危険作業が伴うので作業着、ヘルメット、安全帯、安全靴着用が原則である。いつもの職人然とした格好から一転、都会の専門学生風の出で立ちだ。首にかけたヘッドホンがなんともアーティスティックである。
「あ、あれだ、惚れたか」
「うるさいなあ」
思わず顔を背け、焼肉弁当を手に取る。
「一ヶ月お世話になったよしみです。おごったげますよ」
「まじ?やりい」
坂下さんはそれを聞くとスキップしながら雑誌コーナーに行き、ある雑誌を持ってきた。
「んじゃコレも」
「なんでですか。昼ごはん奢るってだけじゃないんすか」
「えーいいじゃん」
みると、坂下さんが持ってきたのはゲーム雑誌だった。
今回は「罰機械4」というゲームの特集らしい。表紙には見覚えのある絵が踊っていた。かつて、僕が参考にした個性豊かなキャラクター達。少しだけ懐かしくなったが、とにかく、今はもう大人なんだと自分に言い聞かせ。
「しょうがない、とにかく他に食いたいものは?」
会話を切り替えた。坂下さんは、その後あれもコレもとカゴにぶち込んでご満悦だ。
「コレでぜーんぶ。イートインで食おうよ」
「坂下さんって実は暇ですよね」
「なんだよ、暇なパイセンに付き合ってやるてゆーとんのに」
「はいはいありがとうございます」
「誠意が足りない」
そんな会話をしつつカゴを持った右肩を引きずりながらレジへ。カゴを置いて、財布を出す。そして紙幣を出して店員の方へ向き直ると。
見てしまった。
店員の後ろの壁にはいろんなイベントのチケット情報が載っているのだがその中に。
学生の頃聴いていたバンドの。
あのバンドの。
武道館講演決定の報。
その瞬間に、僕の中に流れ込んでくるのは、幾つも作った物語の叫びだった。
もう忘れてしまった。社会に適応することに必死で、もう消してしまった幻の数々。フラッシュバックする青春の幻影。
しかし、僕が捨ててしまった間にも。
このバンドは活動を続けていたのだ。
僕の夢を、全く別の形で、奏で続けてくれていたのだ。
そしてついに、音楽を志す者の一つの到達点。武道館公演を成し遂げた。あの人たちはここまできたんだ。
「パイセェン。おかいけいっすよ」
坂下さんが僕の肘を小突いた。気付いた僕は、店員に変な笑顔を見せながら紙幣を差し出した。
お会計が終了して、イートインコーナーへ。
坂下さんが弁当とドリンクを取り出し、ゲーム雑誌を広げて読み出した。
僕もおにぎりを取り出し、頬張りながら、坂下さんの読む雑誌を横目で眺める。
あのキャラクター達が紙面で踊っている。
「絵が描きたいなあ」
うわごとのようにつぶやいていた。それはまさに、死にゆく者が生きるものに残すような、遺産のような。自分自身には何も残らないことが分かっている者のような呟きだと、僕は思った。
僕はもう、あのバンドには。
あの彼には。
あの物語達には追いつけないところにいるんだ。
「何言ってるんすか」
坂下さんは、いつも通りあっけらかんに言った。
「絵ぇ描くんだったら、紙とペンがありゃいいんすよ」
そういって、目をキラキラさせて雑誌を食い入るように読みながら坂下さんはホットドッグを頬張った。
心なしか、辺りが明るくなったようだ。雨が上がり、日差しが強くなってきている。通り雨がやんでしまったようだ。こういう場合、建築現場は工事を再開してしまうものだが、工期には若干の余裕があった。予想通り、後輩からすぐに今日の仕事は取りやめだと連絡がきた。
急に、空いた時間ができてしまった。
ああもう。仕方がないな。
僕はあの雑誌とコンサートチケットをコンビニで買って。
紙とペンを買いに行くことにした。
僕の雨も上がって、虹が出るだろうか。












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