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夫がたった一度だけ号泣した時のこと

継続は力なり、と書いておきながら、
早速続かないのが私らしい。

息子が1歳のお誕生日を迎え、
お誕生日会やら写真館やらあれこれ忙しかった。
と、言い訳。
写真はお誕生日の時に作ったケーキ、
言い訳の証拠を残しておく。

とはいっても、丸く型取りした食パンに、
水切りヨーグルトをサンドして、
フルーツを乗せただけの簡単ケーキ。
(というかもはやサンドイッチ。)

写真が好きだから、
見た目だけは大切にしたいタイプ。

さて、題名のことについて書きたいと思う。
前の記事で、

『「妻として」「母として」ではなく、
「1人の女性として」、
何かできることを見つけたい。』

と書いたは良いものの、
あれ?私、いま、「妻として」大丈夫だっけ?
と思っていることに気がついた。

「母として」ってのは今の時点では、
合格点をもらえる気がしている。
何の教育方針もないし、
大したことはしてないけれど、
まだ1歳の息子にとっては、
「母」という存在それだけで、
何にも変えられないから。
そりゃそーだよな、
でも真っ直ぐ私もを求めてくる息子に
自信をもらったりすることも多い。

一方で、「妻としての私」ってどうなんだっけ?
我が家は夫がフルリモートだから、
3食ご飯を作っているし(結構つらい)、
家事もそれなりにやってるし、
まあ悪くはないと思う。

でもなんだか胸を張れない。
昔に比べて身なりを気にしなくなったから?
毎日一緒にいて飾らない自分を見せすぎたから?
子どもを授かってから約2年間レスだから?
理由は1つじゃないんだけど、
とにかく自信がない。そんな感じ。

私の夫は、わりと物静かなタイプで、
感情的になったりしないし、
理論的だし、何でも分析するのが得意。

結婚式の時も、
子どもを授かったと分かった時も、
出産のときも、
彼の身内が亡くなった時も、
泣いたりしたのをみたことがない。

そんな淡々としたタイプの彼が、
一度だけ号泣したことがあるのを思い出した。
それは、私にプロポーズしてくれた時のこと。

29歳の最後の日に、
お誕生日のお祝いを兼ねて、
ディナーに連れて行ってくれた。
普段からジーパンにTシャツで働く彼は、
いつも通りな格好でお店に現れた。

個室に通され、一通りのコース料理と、
サプライズケーキまで出てきて、
20代最後の日を思う存分楽しんだ。
そしてそろそろ帰ろうかという時に、
彼がトイレに立った。

結婚を焦っていた当時の私としては、
次の日に30歳になるし、
プロポーズの可能性はゼロじゃないかも?
なんて思ってその日を迎えたけど、
もう帰る時間だし、
そもそも付き合ったばかりだし、
さすがになかったか!
くらいに思って帰り支度をしていた。

でもトイレから戻ってきた彼は、
スーツに着替えて、花束を持っていた。
タイミング的に全然気が付かなかった。
本当に驚いた。
そしてそのまま、
用意してくれた手紙を読んでくれて、
プロポーズをしてもらった。

その時に、とにかく彼は号泣していた、
手紙を読めないほどに泣いていた。
冷静な彼の、
感情が爆発した瞬間だったんだろう。
すごく嬉しかった。

長くなってしまったけど、
それがこれまでたった一度だけみた
彼が号泣した姿。

なんかそれを思うと、
あの頃彼の目に映っていた私と違うかもなって。
なんか私の努力が足りなかったかもな、って。
そんな風に感じてしまった。
というのが今日の話。

あの頃のようなトキメキはなくても、
今は今の良さがあるとも思うけど、
それでも、「良い女だな」と常々思われる
努力はしていたいなと。
少し反省の気持ちも込めて。

努力を全くしない1年だったから、
きっと自信がなかったんだ。

妻としての自分に自信が持てる努力をしよう。

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