沖縄に背負わせてるもの
5月15日は、沖縄が本土に復帰してから50年となる日でした。(駆け込みでnote)恥ずかしながら、沖縄の歴史をまともに知ったのは最近です。
きっかけは、本屋でジャケ買いしたノンフィクション本「海をあげる|上間 陽子 著」
特に印象深かったのが
「お墓が米軍基地内にあるから、墓参りするには米軍の許可が必要。なのに、軍人たちは何の許可もなく、どこでも行ける。まるで、塀に囲われてるのは自分達のようだ。」
といった記述。
淡々と描かれてたけど、隠しきれない怒りと、絶望がそこにありました。
国としては見て見ぬふり。沖縄の本土復帰の条件として多くの人が求めた土地の返還は、ほとんどかなっていない。国のためなら個人は犠牲になってもいい(全体主義)って、とんでもなく危険な思想だと思いませんか。
でもさ、「じゃあ、ここ空いてるから米軍基地にしていいよ」って言える知事っているのかな?結局、超超超面倒くさいボールを誰も受け取ることなく、沖縄に持たせ続けたまま、ずるずると50年経っちゃったんじゃないかな。
普天間基地は返還するけど、代わりに辺野古の海に移設作戦
今年1月の名護市長選では、辺野古への移設問題が論点となり、てっきり反対派の新人が当選するもんだと勝手に思ってました。
でも、結果は、落選。論点にもならずに終わりました。(記事では「論点」ってあるけど。)たぶん、沖縄の人で基地問題に関心を寄せてる人、つまり歴史を知ってる人が少なくなってるのでは。
もしくは、歴史は知ってはいるけど、遠い未来よりも明日の飯を優先せざるを得ない状況なのか。
これって、国の作戦・・・?こわすぎ。
こんなこと書いて逮捕されないような国であることに感謝です。
とにかく歴史を知ろうと再認識させられた日でした。
おしまい
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