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九輪草(クリンソウ)咲く山の水路、スケッチの思い出

「このへんはいつもジメジメしていて、クリンソウの株があったんだけど・・・」と大家さんは言った。そこは山からの湧水を母屋に引き入れる、中継タンクのオーバーフローが流れ落ちる水路沿いの草むらで、もう2年半、人が住まなくなって放置された溝だった。

古民家を借りてすぐにその厚く茂った草を刈り、排水溝(といっても幅10~15㎝ほどのもの)を掘りなおした。翌春から僕はその場所を注意深く観察していた。

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秋に目星をつけていたそれらしき株が冬枯れし、雪が融けて春に小さなロゼットが地面から頭をもたげ始めた。その株を発見しては周囲の雑草を抜き、ひとつひとつ残していった。そしてお客さんや郵便配達のおじさんに踏まれないように石で囲った。

すると見事にクリンソウの数株が開花したのだ。そのタネが落ち、さらに埋もれていた株も復活し、やがてその場所は100株はあろうかというクリンソウの密集地帯となったのである。最初に優勢だったワサビの株が負けそうな勢いであった。

九輪草、学名Primula japonica 『牧野新日本植物図鑑』にはこう書かれている。

本種は日本産のサクラ草のなかで一番大きく、その王者といってよい。〔日本名〕九輪草で輪生する花が九層、すなわち多層をつくるの意味である

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このクリンソウ咲く水路は、はじめ水源からの清らかなオーバーフロー水が細い土の溝を流れていき、すぐに古民家の台所排水が合流するのだが、水路には落ち葉や草の根などが堆積して微生物のノロがついており、米のとぎ汁や洗剤排水などを流しても、わずか数メートルで透明になってしまうのだ。そこにはサワガニも棲んでいて、彼らの生命活動がまた水を浄化していく。

「干潟は生物分解・浄化が多いに進む場所」と言われているのは、汚れが溜まった後に水が引き、酸素にさらされる表面積が増えて生物分解が進み、その過程が潮の満ち引きで交互に繰り返されるからだ(この原理は、かつて下水浄化施設でも使われていた)。古民家の水源は3戸共同で、皆が風呂などで一斉に使えばオーバーフローの水は一時的に止まり、ようするに干潟状態になるわけだから浄化はよりいっそう進む。

水路に泥や落ち葉が溜まったら、かき出して近くの地面に置くか、堆肥場に持っていく。生き物のために熱湯をそのまま流すようなことはぜず、毒性のある中性洗剤(界面活性剤入り)はいっさい使わないようにしていた。

石垣に沿った水路はシダなども生え湿潤な感じに満ちている。地中配管やコンクリートによって水系が閉ざされてしまうと、土に染みる水が少なくなり、微生物のちからが弱まる。このクリンソウとワサビの花咲く敷地の「水の気配」を感じていると、町に降りて郊外を歩くとき「荒涼としている」「乾燥してパサついている」「生き物がいない」ということを強く感じたものである。

水路にクリンソウの咲く5月。ウグイスが気高くさえずり、イカルが小気味よく鳴く(が、とんでもなくデカイ声で外来種のガビチョウも鳴いたりする)。石垣の草を抜いていると、蜂やアブ、ハエなどが次々に飛来する。ウスバシロチョウが飛び始め、レンゲツツジにコツバメがやって来る。肩にムラサキシジミが止まる。

寒くもなく、暑くもない。外での焚き火が気持ちいい。まったくクリンソウの咲く山の5月は、天国のようだった。翌春、ロゼットから開花後の九輪ができるまでをスケッチし、秋にはグループ展+紙芝居ライブ「山暮らしと花」(ららん藤岡・花の交流館、2006)でそれらのスケッチを公開した。

群馬の山暮らし、珠玉の思い出である。

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