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僕の「タマリン紙芝居」と「流域環境マップ」

今から20年前(2003年)、林業再生の仕事に没入していときに僕が書いた文章です(太字は再掲にあたって今回入れたもの)。

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日本の生態地域主義 (バイオリージョナリズム)

東京にも深い森がある。というと東京以外の人はたいてい驚く。しかし東西に細長い東京都の約1/3はたしかに森に覆われている。雲取山(2018m)を最高点として東にいくつかの山塊を連ね、裾野を終えると武蔵野の大地を経て、 なだらかな土地を東京湾に向けている。そこは今では「野」と呼ぶにはほど遠いアスファルトとコンクリートのジャン グルではあるけれども、振り向けば西多摩地方に残る山は、いまだ山として健在であり、都民の週末の憩いの場ともなっている。 

その山の多くは木材生産の場であった。かつて江戸の昔、あるいは戦後の復興期には住宅建材・足場丸太としてスギ・ヒノキの特需があり、奥山で生産された炭は多くの家庭で重宝がられた。東京都を貫く多摩川は、飲料や農業用水 に使われるばかりでなく、木材の筏を流す交通水路でもあったのだ。 

昭和のエネルギー革命と林業不振、新建材や鉄筋コンクリートの登場で、それらの山はいつしか無用のものとなった。 開発の爪に引き裂かれ、あるいは都民のゴミの最終処分場になった場所すらある。先人の辛苦の賜物である植林された スギ・ヒノキ山も、手入れが放棄された斜面が増え、林中に入れば地面に草すら生えない砂漠のような場所も多くみられるほどである。このような人工林は東京の山だけの問題ではない。なにしろ戦後の拡大造林で、日本の全森林の4割以上が人工林化してしまったのだから。 

いま最も緊急を要するのは、既に育ってしまったスギ・ヒノキ人工林の手入れ、すなわち具体的には「間伐」(かんばつ)とよば れる木の間引き作業である。一定の大きさの苗木を一定区間に植えた人工林というものは、育林の過程で間引かれるこ とを前提としている(昔はそのとき出る細い間伐材も高額で取り引きされるほど木材需要があった)。その手入れを怠れば、樹冠が密閉して光が差さなくなり、林床に草が生えず表土が流れてしまう。また、窮屈で木が太れないため、線香が立ち並んだかのような林はいつか大雪や台風のときに折れることになる。 

これを解決するには間伐するしかないのだが、その間伐を進めるには再び間伐材の需要を起こすか、それとも根本的に林業のやりかたを変えるかしかない。しかし需要を喚起するにはもう手遅れの感がある。代替素材が巷に溢れており、 現在のような荒廃した山から出てくる間伐材に優良な材は少なく、しかも間引いた材を集材し製品にするには多大なエ ネルギーを要する。ならば、一気に大きく間伐して材は山に切り置き(それは腐食してやがて山の養分となる)、将来の大径材に備え、森林環境を1年でも早く回復させるほうがよい。山は常に動いており、待っていてはくれないからだ。 

鋸谷式間伐法(おがやしきかんばつ)という手法を用いれば、この荒廃した人工林を最短距離で豊かな環境林に変えることができる。しかも、 残された優秀な木は大径材としてやがて価値ある財産になる。日本の伝統工法なら300年もつ木造民家を造ることができるが、時代時代のライフスタイルに合った間取りの変更が利かねば意味がない。それには長いスパンを飛ばす梁や桁がどうしても必要で、そのためにも大径材の森づくりを急がねばならないのだ。 

鋸谷式では人工林の中に侵入した広葉樹を大切にする。これが山の養分を守り、治山・治水に貢献する。そういう山 なら多様な動植物が棲息できるし、木材生産の一方で「緑のダム」の役割も果たしてくれる。

森はすべての生命の原点である。われわれの飲料水も森からやってくる。森と田畑は緊密な関係にあるのはいうまで もない。雪融け水が森の腐葉土を溶かし、川から河口に流れ、その栄養で増えるプランクトンをサケの稚魚が食べて一 気に大きく育ち、海洋へ還っていく。山々と河川に恵まれたわが国では、実は森の存在が沿岸漁業にも大きな影響を与 えていたのである。われわれはいま、自身の住む流域の生態系にもっと目を向けるべきだ。 

そして日本一のメガロポリスをもつ東京にも森があり、多摩川という流れに貫かれている。 

未来樹2001(※)は、今年2003年より全国的に「紙芝居&個展プロジェクト」を展開する。親しみやすい紙芝居を 演じることで、自分の地域の森と川の関係を思い起こしてもらい、人工林の仕組みや手入れを知ってもらう試みだ。そ してこれを機に、鋸谷式間伐の山づくりに共鳴する山林所有者や、実際に山に入る仲間を全国各地に増やしたいと思っている。個展ではむささびタマリンをテーマとした絵画と、どんぐりくんをテーマにしたクラフト作品で、広葉樹の混じった豊かな人工林を暗示しながら、アートとして完成度の高い作品を飾っていく。人との関係性のあるところ、山と 町をつなぐもの、新旧がぶつかるところ、そんないい空間であれば、会場にはこだわらない。 

※未来樹2001(みらいじゅ・にせんいち) は1997年に東京で結成された「森と林業を旅する」市民グループである。全国各地で体験林業や、森・民家・林業施 設などの見学会を主催。5人のコアメンバーから成り、代表の大内がプロのイラストレータということもあって、林業啓発のイラストブック制作や、紙芝居の公演もしていた(活動記録はこちら)。
2000年、活動の中で出合 った鋸谷茂(おがや・しげる)さんの林業技術をホームページに発表。翌年、鋸谷講師の間伐講習会を森づくりフォーラ ムとの共同主催で成功させた。2002年に発刊された『鋸谷式 新・間伐マニュアル』(全林協)が全国の林業者関係者から大きな注目を集める。鋸谷さんデビューのきっかけ となった群馬県鬼石町の山林は、地元の森林所有者の協力を得て「桜山きづきの森」(大内正伸代表)として独立し、 新しい森づくりが進められた。
2000年開設の『未来樹2001と大内正伸のホームページ』は7,000ファイルを含む膨大な情報量を持ち、2006年8月終了までに10万アクセスを超えた。2004年9月より群馬での山暮らしを開始し「神流アトリエ」活動への移行により、未来樹2001は発展的解消となる。

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引用、ここまで。

これは2003年より展開された「紙芝居&個展プロジェクト」のマニュフェストとも言えるもので、生命地域主義/バイオリージョナリズムという概念は、政治的に分断された国境や県境ではなく、流域をひとつの生命・地域の単位として考えようというものです。

下流の街も上流の森林の恩恵を(たとえば水や空気や燃料や肥料など)受けているわけだから、流域をひとまとまりに考えれば、誰しも地域の自然を大切にしようという気持ちが生まれます。

ちょうどこの頃、僕は東京西多摩の森林ボランティアに関わり始め、仕事では川の流域の自然やふるさと再発見的なイラストマップの仕事を多くこなしていた。だから、この「生命地域主義/バイオリージョナリズム」という考え方は実にしっくり来ました。

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『網走川の恵みと暮らしの探検地図』イラスト/大内正伸
A1(594×841mm)・六ツ折り
編集/(社)農村環境整備センター 発行/北海道網走支庁農業振興部 2000

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企業パンフレット(A4)に使用された東京都の流域環境マップ『西友みどりの探検塾(1997)』イラスト/大内正伸

僕の創作紙芝居『むささびタマリン森のおはなし』は、東京西多摩(タマ)の林業地(リン)で生まれ育った「むささびタマリン」というキャラクターが語り部となり、人工林の荒廃の現状、その育て方や手入れの仕方、そして最後に東京都の流域図を見せて森と街の関係を喚起させるというもの。

紙芝居個展プロジェクトは岡山、香川、茨城と三県にまたがって行われ、各地で流域地図を新たに作って見てもらいました。

紙芝居の内容はまたあらためて紹介しますね、とりあえず今日はこのへんで。

養老孟司さんのPHP新書『日本人のリアル〜農業、漁業、林業、そして食卓を語り合う』に鋸谷さんが登場しています。「本当の仕事」をしている4人と考える。4章「林学がない国」の森林を救う・・・鋸谷茂氏。

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