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人前で話すのがめちゃくちゃ苦手な私が、会社のボウリング大会で司会に任命された話。
世の中には、二種類の人間がいます。
「人前に出るのが苦にならない人間」と、「人前に出るのが苦にしかならない人間」です。
私は圧倒的に後者です。
私はいつも人前でぺらぺら話せる人に羨望のまなざしを向けつつ、それを認めたくないが故に「奥ゆかしいワタシって素敵」といった、アンビバレントな感情を持つ傾向にありました。
なぜなら、自分が人前に立つと「みんなが私を見てる、そして私をあざわらっている・・・」という謎の被害妄想に取りつかれていたからです。
もう一つの理由は、脳内で物事を組み立てることと、それを会話につなげることを両立できず、「話しているうちに何を話そうとしていたのか分からなくなる」からです。
これは緊張しない間柄、例えば夫と雑談しているときにもこうなります。
この間も夫から「ナミキのnoteを読んでいると面白そうな人に見えるのに、話すとつまらないのはなぜ?」と真顔で聞かれました。
そりゃそうです、文章はいくらでもあとから起承転結を書き直せますが、会話はナマモノ。
友人と遊びに行っても、帰宅後「あの時ああ言えばよかった~」と後悔し、「ああ言っていたらこうなっていたはず」「そうすると相手からこういう反応があって・・・」みたいなことを脳内で何度もやり直す。
そんな青春時代を送っていました。
新卒でメーカーに就職してからもそれは変わらず、「このままでは一流ビジネスパーソンになれない」という、強い危機感を持っていました。
別に出世したかったわけでもないし、会社の成績は常に中の下だったのでどのみち出世もできなかったのですが、常に、なにかに焦っていました。
そんな頃のお話です。
当時私が所属していた経理財務部門では、年に一度、全国に散らばっている社員が集まる「All Employee Meeting」という全体集会がありました。集会の後は、そのまま盛大な懇親会を行う、まさに一大行事。
そしてその年の懇親会は、ボウリング大会と飲み会の二本立てになったと聞きました。もちろん懇親会の企画と準備は若手社員の仕事です。
なんとなく、嫌な予感がしました。
良い予感や宝くじは全然当たらないのに、悪い予感はいつも的中します。
私はボウリング大会係になり、同僚と2人でボウリング大会の司会をすることになりました。
司会に決まった瞬間は絶望しかけましたが、同時に「克服してやる・・・ショック療法だ!」という気持ちにもなりました。
その日からわたしは、「一流ビジネスパーソンは皆これでプレゼンの勉強をしている」と言われる、当時大流行していた「TED」を見始めました。
舞台に立つ人はみなスティーブ・ジョブズの影響を受けているのかラフな出で立ちで、一言しか書かれていないシンプルなスライドを背景に巧みなトークを展開し、たまにウィットにとんだジョークで聴衆を笑わせ、舞台を歩き回りながら語りかけます。
私もこうならなければ・・・と日々浴びるように見ていました。
ちなみに私がやる予定だったのは、あくまでボウリングのルール説明です。
今考えるといろいろ間違えていますが、当時は必死でした。
ともに司会担当になった同僚は「まー適当にやっとけばなんとかなるでしょ」タイプだったのでさらに不安になり、wordで原稿を作りこみました。
最初の挨拶から同僚との掛け合い、ルール説明までびっちり書き込み、忙しいはずの同僚を捕まえては「司会の練習」と称し、無理やり原稿の読み合わせをしていました。
ボウリング大会の日にちが近づくたびに憂鬱度が増していきましたが、一方で、楽しく取り組めた準備もありました。
それは、ボウリング大会で使う「名札づくり」です。
当時経理財務部門には100人以上の社員がおり、全国に散らばっているため名前と顔が一致しない人もたくさんいます。
そこで、全員分の名札づくりが必要になったのです。
同僚は「その場で各自がポストイットに名前を書けばいいんじゃない?」と言いますが、ここは譲れません。
私の価値を・・・!存分に出せる場所はここだ・・・!
同僚にはひとこと「私にまかせて」と言い残し、会社のキャビネからあるものを取り出しました。
そう、テプラです。
![](https://assets.st-note.com/img/1717515026628-NoHHVNGkyE.jpg?width=800)
以前にnoteでも書きましたが、私の趣味はテプラです。
チームごとに色分けして、外国籍の社員もいるからアルファベットにして、課ごとに違うフレーム(絵)になるようにし、こだわった結果、デザインも書体も大変ダサい名札が出来上がりました。
名前を間違えないように何度も社員名簿をチェックしながら、名札を作り続けました。
そして迎えた当日。
最初は部門全体集会です。
部門長の挨拶も、会社の業績発表も、まったく頭に入ってきません。
下を向き、司会原稿を黙読し続けるのみです。
その後、ついにボウリング大会が始まります。
ガチガチになりながら丸暗記したセリフを何とか言い終えて、ボウリング大会は無事幕開けしました。
最初の関門は超えた・・・あとは試合後の順位発表と閉会宣言だ・・・と
すでにヘトヘトになっていたとき、ふらっとやってきたとA課長が
「ナミキさんさ~、なーに気合入っちゃってんの~?」
とにやにやしながら言ってきました。
A課長としては深い意味もなく話かけただけだと思いますが、私は
・今日のことが心配でここ数日睡眠不足なんだぞ!
・テプラに時間をかけすぎて通常業務にも支障をきたしてるんだぞ!
・原稿を必死で書いた時間分の給料くれ!
・原稿を必死で暗記した時間分の給料くれ!
・苦手なこと頑張ってんだから少しくらい成績上げろ!
・精神的苦痛を味あわされたとして慰謝料請求するぞ!
・いや業務上に起きたことなんだから労災認定させろ!
このような感情が一気に沸き上がり、思考回路はショート寸前でした。
あの時、何と答えたかは覚えていません。
もちろん年の離れた上司ですから言い返すこともできず、多分へらへら笑ってその場をやり過ごしたんだと思います。
その後は恥ずかしさと悔しさでいっぱいになり、とりあえず暗記した言葉を「無」で話し、そのボウリング大会は終了となりました。
「声が上ずってる、緊張してるのかね」
「爪痕残そうとしてるんじゃな~い?」
「面白いこと言おうとしてるのが伝わってむしろ冷めるわ~」
そんな陰口をたたかれていると思いながら行う司会は、普通に地獄でした。
でも、あれから10年以上たった今ならわかります。
ボウリング大会の司会なんて、だれもろくに聞いていないということを。
こういった被害妄想はこじれた自意識のなせる業で、自分が思っているほど周囲は自分を見ていないということが、今ならわかります。
そして同時に、「できないことにだけ目を向けて”自分はダメな人間だ"なんて責めなくてもいいわ!」と思えるようになりました。
私には、100人超の名札テプラを嬉々として作り続ける才能がある。
司会は、苦にならない人がやればいいじゃないか。
そして苦手ながらも頑張った人がいるなら、それは大いに労ってあげたいじゃないか。
当時のA課長とほぼ同じ年齢になり、相手からどう思われるかなんてどうでもよくなった今ならはっきり言えます。
「だったらお前がやってみろやあああ!!!」
ちなみに。
夫は同じ会社の同期で同じ部門で働いていたたため、もちろんこの全体集会に参加していましたし、懇親会の担当を任されていました。
夫はボウリング大会後の余興で全身黒のレオタードに身を包み、レディーガガのポーカーフェイスを踊って爆笑をさらっていました。
「彼とは永遠に分かり合えないな」と思い知った出来事でした。
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