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女子大生の貴重な青春を「英語ディベート」に捧げた話。

夫とテレビを見ていたら、神戸の映像が出てきました。

私「あ、このあたり行ったことある!」

夫「へー、神戸行ったことあるんだ。旅行で?」

私「ううん、ディベートの対外試合で」

夫「・・・ディベートの『試合』・・・?」

一般的には知られていませんが、ディベート対決のことを界隈では「試合」と呼びます。
それこそスポーツのように、勝ったら歓声を上げて、仲間と泣きながらハグをする。
まさしくガチ「試合」なのです。

私は20年近く前の華の学生時代、何をとち狂ったのか英語ディベートサークルに所属していました。

輝かしい青春時代を英語ディベートに捧げることになってしまったきっかけは、以下の記事をご参照ください。

私が取り組んでいた英語ディベートは、同じ大学の2人1組でチームを作り、他大学のチームと討論して勝敗を決めるゲームです。

討論するテーマは半年ごとに代わり、「日本政府は弾道ミサイル防衛システムの開発を一切放棄すべき」など、正直普通の文系大学生にとっては「何のこっちゃ」な内容です。

試合に勝つために重要なカギとなるのが、討論時に使用する資料。
英語ディベートですから、もちろん資料は全て英語です。
英語の文献を集めるのはもちろん、日本語の新聞や書籍も全て英訳します。

放課後は大学のパソコンルームで談笑しながらネットサーフィンする人のかたわら、わたしは必死の形相で弾道ミサイル防衛に関する資料をググり続け、ひたすら理論武装します。
そして土日は試合に出かけていくという、ディベートに支配された生活を送っていました。

また、ディベートを行う人のことを「ディベーター」と呼びます。

その中でも、数々の大会で入賞するようなディベーターは「スーパーディベーター」として、憧れと崇拝の対象となります。

スーパーディベーターと一口に言っても、論理展開が鋭いキレキレタイプ、熱いスピーチが感動を呼ぶ熱血タイプ、整った顔立ちで黄色い歓声を浴びるアイドルタイプなど、個性は様々。

私の推しディベーターはもちろんアイドルタイプで、

友「ねえ、今日はスーパーディベーターのXXさんが出場するらしいよ!」

私「きゃー!絶対見学しなきゃ〜〜〜!!!一番前の席陣取ろ〜!!!」

みたいな、今思うとなかなかグッとくる言動をしていました。

各大学のスーパーディベータ―に囲まれ、歓喜する私

試合は全国各地の大学で行われるため、遠征もしばしば。

24時間戦うサラリーマンと同じく、なぜかディベーターの戦闘服もスーツと決まっています。
試合の都度ワイシャツに袖を通し、書類でぱんぱんになったスーツケースを転がしながら、会場に向かいます。

大きな大会は土日の二日間で行われ、各大学(1大学3チーム程度出場)による総当たり戦。約80分の試合を二日間で4~6試合こなすので、見た目からは一切分かりませんが、実は結構ハードなゲームなのです。

そして、試合に出ない控えのメンバーにも「他大学同士の試合を偵察(見学)し、内容をメモに取る」という重要任務があります。

日が暮れるころに一日目が終了すると、各大学のディベーター達はファミレスに移動し、夕食を食べながら早速試合の反省会を行います。

その際、控えの偵察メンバーから「XX大学がこんな新しい主張を出してきましたが、我が大学にはそれに反論できる資料がありません」なんて報告が上がってくると、さあ大変。

二日目の試合時間までに、なんとしてでもその主張に反論できる資料を探し、主張を組み立てなくてはなりません。

ただ、当時は「世の中のコンピューターが全て止まるかも」と世界中が大パニックに陥った"2000年問題"をやっとのことで回避した頃です。

スタバでステッカーがベタベタに貼られたMacBookを開き、やたらでかい音でキーボードをパチパチやれる現代とは全く事情が異なります。

あの頃は電源を貸してくれるお店なんてなかったし、Wi-Fiがある場所自体珍しかったので、街中でインターネットに接続するなんて無理ゲーでした。

そんな当時、夜通しパソコンが使えて、仮眠も取れて、資料を印刷できるところと言ったら、

マンガ喫茶一択でした。


20時過ぎ、疲労困憊で重たいスーツケースを引きずりながら、ぞろぞろとマンガ喫茶の個室に入り、他大学の主張に反論できる資料をググります(いや、当時はFirefoxだったかも)。

数時間必死で探して良い資料を見つけたら、即座にGoogle翻訳で英訳。
当時のGoogle翻訳の精度の低さよ・・・結局自分たちで英訳しなおします。

その後、英訳した資料の速読練習を周囲のブースへ漏れぬよう注意しつつ、ブツブツ小声で行います。

試合は制限時間があるため資料を1秒でも早く読み、残りの時間は自分の考えや相手の主張を崩すような発言に使いたいのです。
(当時友人は電車の中でこの速読練習を行い、隣に座っていたおじさんに「っっったくもう、お前なんなんだよ!」とブチギレられたそうです。)

夜中の3時くらいまでねばり、仮眠。
7時には起床し、英訳した資料をマンガ喫茶のプリンターで印刷したのち、大会二日目に臨むのです。

こんな生活を2年続け、3年の夏の試合を以て、私は少し早めの引退をしました。残念ながら私はろくな戦績も残せないまま、ディベーターとしての活動に終止符を打ちました。

アラフォー女性は震え上がるであろうベティーズブルーのTシャツをパジャマにしていました

私をディベートサークルに誘ってくれた幽霊部員のA先輩の言葉は、果たして本当だったのでしょうか。

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「英語で相手を説得するから、自然と英語力がアップするよ!」

私の場合、Your argument is〜(あなたの主張は〜)、However(しかしながら)、Therefore(であるからして)のような、日常会話ではおよそ使わない言葉しか身につきませんでした。

むしろ、このまま使ったら友達を失うような単語ばかりです。

ただ、他大学の皆さんの進路を見ると、有名外資系コンサル会社や有名商社などで世界を股にかけている人がとても多いので、しっかり「一生物の英語力」を身につけた方もいるようです。

「他大学との交流も多いから、世界が広がるよ!」

確かに当時の交流のおかげで、今も他大学の友人との縁が続いています。
ただ、これは果たして「世界が広がった」と言えるのか、逆にディベート界のみで生息することで世界が狭まったのか、なんとも言えません。

ちなみに、ディベーターは「ディベート界では」という表現を多用します。私たちディベーターにとっての「ディベート界」は、「芸能界」くらいに広く一般的な概念です。

「論理的思考力という一生モノのスキルがつくよ」

夫婦ゲンカ中に、夫から「ほんと論点のすり替えがうまいよね」とよく言われるので、その点では一生モノのスキルがついたのかもしれません。

丸の内の外資系企業のチーフストラテジストとして経営陣相手にプレゼンするときにその能力を活かしたいのですが、バーベキュー場ではそんな機会は一生なさそうです。

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なんとも特殊な世界だったな・・・

引退後の授業終わり。
久しぶりにマンガ喫茶へ入り、ゆっくり吟味した漫画を片手にドリンクバーでジュースを注いで席に着いたとき、ふと胸の奥からこみあげてくる熱いものを感じました。

ついに、ついに私はマンガ喫茶でマンガを読むという、あたりまえの至福を享受できるんだ・・・!

ディベートに捧げた生活からの解放感と、一抹のさみしさを噛みしめながら、本当に引退したことを実感したのでした。

※全て2000年ごろの話です。
令和6年のディベ界(正式名称は「ディベート界」だけど、ディベーターはみんな「ディベ界」って言うよ☆)がどのような進化を遂げているのか、もし知っている方がいたら是非教えてください。