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上半期おまけ記事No.2 「夏至のころに仕込むクルミのお酒と一緒に」 #まいにち土鍋

はじめに
「#まいにち土鍋」マガジン

▶︎まいにちの、お目通しありがとうございます。未投稿だったおまけ投稿No.2です。▶︎上半期「181日」のまいにちは、実は、これまでに経験のない出来事や感情がたくさん詰まっていました。冷静でない日もたくさんありましたが、食欲のない日はなく、せっせと食べていました。▶︎4月の個展においては勇気百倍いただき、むつかしい決意と決断、期待と失望を乗り越えることができました。▶︎SNSの世界は、みんなが冷静にものを語っているように見えますが、きっと違う。デジタルでも伝わる喜び、自慢、嘆き、怒りを伝えられたら。感情がまったく滲み出ないデジタル文字が一律に涼しく並ぶと仮面的な香りがし、ボロのない単語の羅列には体温を感じません。成功者の文章はときに自慢にしか見えず、冗談もそうとうなクオリティでないと不燃物。不思議だなデジタルって。▶︎藪の中の泥道はさらにつづきますが、下半期もたぶん書き続けられると思いますので、お時間あるときにどうぞおつきあいくださいませ。これまでの陶芸道にはなかった未踏なまいにちが綴られてゆくことでしょう。どんなふうに乗り越えてゆきましょうか。▶︎道を超えた先がもしもあるのであればそのとき何をしよう。今まで考えていなかった「道草の先」を夢みる日がつづけばそれでいい。そんな目的を持ちながら道草を続けていこうと思います。仕事以外の学び、陶芸以外の制作にも励もうと思います。▶︎どうせ一度きりの歩みであるならば、まいにち自分を驚かせ続けながら進もうと思っています。▶︎前回につづき最後にもうひとこと。道には日向と日影があって、今わたしはまいにち光を求めて歩いています。忘却と安泰の世界の中で生きる母よ、悩める友よ、病に伏せるSNSの知人よ、わたしはあなたがたに勇気をもらって生きています。どうもありがとう。



エネルギーに満ちる季節

エネルギーに満ちる夏至の前後に、農作物に新しい命を与えたり、または魔除けの儀式をする風習が世界中にある。

カトリックの国では、暦に、ほぼまいにち「オノマスティコ」というゆかりの守護聖人の名が記されており、友人によっては「ボクの日だよ私の日よ」「おめでとう!」と返すこともある。夏至に近い6月24日は「聖ジョバンニの日」(聖ヨハネの日)とされている。この日は、焚き火で魔除けの神事を行ったり、太陽からふりそそぐエネルギーの恵与にあずかり聖なる花水をつくったり、エネルギーに満ちたクルミの実を収穫して「ノチーノ」という酒をつくるなど、信じるものもそうでないものも、庶民のあいだでそれらの儀式が語り継がれている。


クルミの木 2022.6



日本でも、古代中国の暦「二十四気節」が、平安時代から農業や暮らしに取り入れられ、大きな節として、夏至・冬至・春分・秋分(中間が立春・立夏・立秋・立冬)がある。夏至の前後に田植えを始め、半夏生(夏至から11日目)には終わらせるという伝承や、6月30日には、各地の神社で「夏越の祓なつごしのはらえ」という神事にちなみ、茅の輪くぐりが行われたり。日本神話のスサノオノミコトに由来するというこの行は、輪をくぐり心身を清め、厄祓いするわけで、西洋の「聖ヨハネの日」に似て非なるものがあるなぁと思っている。

我が家がよく訪れる等々力不動尊には、5月の弘法大師の誕生日に、すでに茅の輪くぐりが用意されていた。

等々力不動尊 2022.5 


クルミのお酒「ノチーノ」のおはなし


伝統が導き、金欠が招く「ホームメイド精神」

トスカーナの露天風呂に行った帰りに寄った山小屋で「これは去年のクルミを土に埋めてそのあと乾かしたものだよ」と、蔓カゴに満杯に入った殻つきのクルミを見せてもらった。「あと半分はコレね」と、黒いお酒がたっぷり入った瓶を指さしてたけど、クルミがどう違うのか、つっこむ語学力が当時なかったのだと記憶する。

近所のバールでカフェやカフェラッテは飲めたけど、修行時代はとにかく金欠だったし、現代のように「ハッピーアワー!」「ワンコイン・アペリティーボ!」(今のイタリアにはある)なんてなかったから、バーテンダーにあのクルミの謎を聞き出す機会もなく数年が過ぎた。

話題はそれるけど、イタリアでもつくれるものは自家製してた。理由は、健康や丁寧な暮らし発想からほど遠く、お金がないけどただ食べたかったから。ジャムや野草ペースト、トマトソースはもちろん、野草ジュースや野草酒も。味噌や豆腐はもちろん、納豆もつくった。魚のひらきの干物、燻製、塩鮭、あんこ、梅干しの代わりにドライトマトなど。醤油は当時から売ってたので作らなかった。行き着けなかったのは、にがりや海苔。よく失敗してたのがぬか漬け。

ネットがない時代だったから大変むつかしかった。
PCもブログもなく絵日記だった。

絵日記(1990年半ばくらいかな?)


目でみて耳で聞く情報源

話を戻そう。あるパーティでドルチェと並んで食後酒として出されたボトルの数々。時に並外れた富豪がいて、アミーコや師匠の友人が「誕生日会に来てね」なんて誘ってくれる。映画山猫みたいにダンスとかするのかね?と思ったら、そういうのも南イタリアにはあったけど、ミラノの若者御曹司くらいだと、有名シェフを呼んでモダンなパーティを開催してた。

そこで、あの真っ黒なお酒があったので凝視していると「お飲みになりますか?」とサービスしてくれた。そばにいた師匠に「これなんだい?」とヒソヒソ声で聞くと、アマーロ(苦味のある食後酒)の種類で「ノチーノ」というクルミのお酒だよと教えてもらえた。しかし、まだクルミの謎は解けず、その後、ボローニャのアミーカの庭で採れたクルミでつくった「ノチーノ」をいただき、その詳細をようやく知ったというわけで。デジタルな情報がない時代、モノを知るって、こうやって時間がかかってた。

「ノチーノ」をはじめ、イタリアの伝統や伝承の食品は、ネット情報がなかった代わりに、自身の目で見て話を聞かなければ情報が得られなかったというわけだ。土鍋をかかえて旅するのも、そこで得られる情報がネットに広がる文字よりも輝いていることが多いから。


ありがとうクルミ

そんなわけで、今年は東京産の「ノチーノ」(クルミのお酒)を仕込んだ。わけあって、どうしても近所のクルミの実をお酒のエキスとして残したかった。散歩コースにある木々、周辺の自然が、いつも以上に尊く見えた。「つくづくいい環境だねぇ」と家人と、そよぐ柳の下にすわって水筒の水を飲んだ。近くで缶ビールを手に日光浴をしていたブロンドヘアの紳士が「ハロー!」(グッジョブジェスチャーつき)と挨拶してくれたので、強く親指を返した。

「この木だよね」と、夫婦ふたりで前に土のなかにクルミを発見した木の下に立つ。「このくらいいただいますよ」と手を合わせて、ひとつの木から数個ずつ(房になっている)、また次の木で数個ずつ、散策しながら大事に実をもいだ。

全部で72個。ひとつひとつ洗って水分を少し乾かした。イタリアの地方によっては、漬ける個数が決まっていたりするらしい。


クルミのお酒「ノチーノ」2022.6月

イタリアで使うような95%の強い度数のアルコールが理想的だが、なかなか高価なので業務用スーパーで買ったヴォッカでつくる。クルミを1/4に切って砂糖を入れて漬ける。おひさまに当てて毎日振り混ぜる。(日影に置くという家もある)

あとからシロップやスパイスを入れる家庭もあれば、最初から砂糖を入れて漬ける家もある。日本の梅酒づくりと同じで、その土地や家のやりかたでいい。

夏至のエネルギーを冬至のころまで温存してお酒をつくるのだが、40日後にあたる8月3日には、クルミを取り出して濾す。我が家は、この日にスパイスやレモンの皮を追加する。その後クリスマスのころに開封するつもり。そのころ、どこで何をしているかな。一部はもうすこし寝かせて道草をさせよう。

わたしの新しい道とクルミのお酒は、一緒に歩みを進めている。



6月のおまけ記事(追記6月30日)

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