花束みたいな恋はあります

サントリーの天然水は高い。
だいたい、いろはすよりも1本あたり10円くらい高い。下手すると15円くらい。

金はなくても絶対に水道水は飲みたくないので、いつもミネラルウォーターを買うわけだが、いかんせん高くつくので、マイバスで売ってるイオン系列のやっすい水を最近は買っている、とはいえそれにしたところで結果1本あたり30円くらいしか変わらない訳で、2日に1本くらい飲む計算で月に400円程度しか差は出ない訳だが、そういう目先の金を気にしてイオン系列のやっすい水をしたり顔でがぶがぶ飲んでいる人間だからこそ金が溜まらないのであるのです、これがまた。

金がないことを言い訳にはしたくないんだけど、無いもんは無いから、飲み会にも行けず、ゴルフの誘いも断り(誘い方が「golf行く?」ってお前普通にゴルフって日本語で打てよ、そんなん金あったとしてもそんな誘い方されたら行く気もうせます。強がりではありません。)家にいると、これまただんだんと気分ふさぎ込み始め、何もしたくなくなってしまったから、『花束みたいな恋をした』を見た。

俺は、なにもしたくなくなった時に、『花束みたいな恋をした』を見るような人間だったのか!と自分を再評価しつつ、低価格で抑えられる自炊した夕飯を食いながら見た。
そもそも花束みたいな恋ってなんだよとか思いながら見たけど、普通に花束だった。これは花束です。花束ですた。

ネット弁慶の私は匿名性を良いことに分かった口を利きながら陳腐な感想を偉そうに述べるわけですが、この手の邦画って延々と似たようなテーマを、ランプの妖精でも呼ぶのかというくらい性懲りもなくこすり続けていて、例にもれずこの映画もその類だったわけでして、これがまた一つの様式美として昇華されているわけですな、『花束』の場合は社会と二項対立的に存在するあぶれ者としてアイデンティティを確立しようとするもうまくいかず、その狭間で悩む大学卒業前後の青年を描くわけです、どうしてこう○○の一つ覚えみたいに「社会」を共通悪として描きたがるのか、そもそもこの手の映画ってゴニョゴニョ………..

うるせーー!!!

結局言いたいことは、感動したってことですな。
めっちゃおもろかったよ!この映画!

想い出、

人の考えとか価値観は変わってくもんだけど、過去、特定の日に何をして、何の話をして、何を見て笑ったのかは、絶対に変らない。
そして、出来事があったっていう事実自体はどうしても変わらないわけですが、だがしかし想い出というものは脚色されて自分に良いように置き換わっていくものである。楽しかった思い出が悲しい思い出に変っちゃうこともよくあることだし。
だからこそ2人でジョナサンで話した記憶が悲しい記憶にならなくてほんとよかったねーってことになり、二人とも同じ気持ちなんじゃんってことが涙をそそるわけですな。

過去の出来事は決して変えることができないし動かすことができないものだけど、想い出は生き物であって変わり続ける。それが面白くて僕は写真が割と好きなんですわよ。
かつて間違いなくそこにあった出来事を、一つの証明として切り取って残しておけるから。
その出来事をいまの自分はどう受け止めるのか、毎度楽しみにしながら、怖がりながら写真を見返すわけです。
そういや、ムギ君と絹ちゃんの家にも静岡旅行の時の海の写真が最後まで飾ってあったね。

やっぱあのジョナサンのシーン泣けたよなあ!!
ほんと泣けた!マジ


怪しいリサイクルショップで500円出して奮発して買った怪しい花瓶に生けてある
この前もらった花束がしおれかけてるから
新しい水を入れておいた。
写真は、まだ撮ってない。

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