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次々と起こる問題に立ち向かう 不妊治療経過は夫婦の絆

結局、4日間の実家生活となりました。なんだかんだと自分の家の方が落ち着くようになっているのでしょうか。なおのこと家が建つのが楽しみになってきました。

今日は拡張術後初めてのクリニック。移植周期再スタート予定です。すんなりカテーテルが入るようになっていることを願います。そんな不妊治療の経過を書いていきます。

初潮は11歳。学生時代は日数や周期など気にすることもなく、過ごしていた。高校、大学くらいから周期の乱れや生理痛に悩まされ産婦人科に行くこともあったが、特に何と言われることもなかった。

社会人になってからは避妊はしていたものの、遅れることが多かった生理に何度も検査薬を使っていた。その頃は、妊娠していたら困った。陰性になる検査薬でホッとしていた。

24歳のとき、理由は覚えていないが子宮頚がんの検診を受けようと思い、受けた。軽い気持ちだった。検査結果で異形成が見つかったことで、私の婦人科への意識がグッと変わった。同時期に5つ上の姉が不妊治療をしていた。離れて過ごしていたこともあり、詳しくは分からないが、大変そうだなぁと思っていた。

異形成の検査を定期的に診てもらう中で、生理痛や生理不順に対して、ルナベルULDという低容量ピルを使うことになった。卵巣機能を良くする目的と説明をされた。ルナベルは毎日同じ時間に服用する必要がある薬だ。シートになっていて21日間一錠ずつ服用し、3日後に生理がきていた。副作用が出る人もいるようだが、私は全くなかった。むしろ結婚や出産を考えていなかった私には、生理周期が分かりやすくなり、生理痛も軽減されたので快適だった。結婚するまでの6年間、途中異形成の手術前後を除いて服用し続けることになった。

ルナベルの処方や異形成の検査で産婦人科に通うことに慣れており、定期的に内診をしてもらう中で、姉と同じ多嚢胞性卵胞と分かった。将来、子どもができにくいんだろうなぁと漠然と感じてはいた。だから結婚を急いでいた。

夫との結婚が決まると同時に不妊治療を開始した。最初はタイミング療法。クロミッドを使用した。生理開始5日目から5日間、1日1錠服用した。クロミッドの副作用なのかはわからないが、腹痛や頭痛、気分不良や鬱傾向などの症状があった。生理12日目あたりで受診して、卵の育ち具合を確認。10mm〜12mmのことが多かった。15mm以上に育っていたら、排卵誘発の注射をしてもらい、その次の日にタイミングをとるように言われた。

仕事帰りにクリニックに寄って診察を受け、帰ると20時をすぎていた。卵が育っていなかったら連日受診する必要があった。やっとの思いでタイミングの日を迎えても、精神的にしんどい日もあり険悪な状態でタイミングをとることもあった。

ある周期でのタイミングの日。夫は飲み会に行っており、ベロベロに酔った状態で帰ってきた。深夜12時頃だった。タイミングの日とは伝えていた。悲しくて悔しくて泣いた。どんな思いでこの日を毎月むかえているのか分かっているのかと攻めた。そんな雰囲気でできるわけがなかった。次の日の朝、謝ってくれタイミングをとった。二日酔いの夫はキツそうだった。

上手くいくはずがない。タイミング療法を半年続けた頃、義父が亡くなった。身体的にも精神的にも一旦不妊治療を休むほうがいいと判断し、中断した。

そして、四十九日があけたころ、、、新型コロナウイルス流行が始まった。一般の人ももちろん制限がかかる生活の中、医療従事者の私たち夫婦はさらなる行動制限がかかり、不妊治療を再開することができなかった。

第一波のころはワクチンもなく、マスクもなく、産婦人科からも受診控えを促すメールが来ていた。時間的に余裕がないご夫婦はきっと継続しただろうし、それぞれの考え方が出てくる出来事だった。それは、今もそうなのかもしれない。

私たちが再開できたのは、感染者数が落ち着き、緊急事態宣言があけた時だった。約半年間中断していたが、避妊をしていたわけではない。友人などはその間にも自然妊娠していた。

私「自然に妊娠するのは良くて、不妊治療はなんであかんの?コロナで妊娠するのが危険っていうなら、避妊もせなあかんってことやん!私が自然に妊娠できんから、こんなことで悩まなあかんだけで、そうじゃなかったから言うてないやろ?!」

かたくなに再開をしぶる夫に対して何度も感情をぶつけた。通院をするというリスクを考えたら再開しないほうがいいというのが夫の考えだった。自分たちや子どものことを考えてのことだと言った。夫の気持ちも理解できた。当時はコロナが胎児にどんな影響が出るかもわかっていなかったし、ワクチンも打ててなかった。ワクチンを打ち、効果がでるころ、不妊治療を再開した。

私「再開する時は、人工授精にステップアップしたい。」

それには夫も同意してくれ、人工授精にステップアップしての再開となった。

D r「わかりました。それがいいですね。人工授精はだいたい6回くらいまでが目安かと思います。あと、卵管造影検査をして卵管が詰まっていないか確認してみましょう」

そこで、卵管造影検査をすることとなる。クリニックによっては、いろんな検査を最初にしてしまうところもあるが、私の通うクリニックはゆっくりと進んでいった。

卵管造影検査、、、痛かった。とにかく痛くて辛かった。まだ検査をしていない人が読むと不安を煽ることになるので、あまり気にしすぎないでほしいが、私は痛かった。

痛みがあることは事前に説明してもらっており、市販の鎮痛剤を飲んでから来てもいいと言われていた。私は鎮痛剤を飲んでのぞんだ。

造影剤を流すチューブを子宮の奥まで入れる必要がある。その時点で入らないのだ。普通の人が使わない細いチューブや形状が硬いものや何度も試された。そう、今回と同じで頚管が狭窄していたのだろう。その時点でそんなに時間がかかるはずじゃないと先生や看護師さんはバタバタ。

D r「ゾンベ持ってきて。入らんなぁ。…どうしよっかな。うーん…痛い??もうちょっと頑張ってね。」

息をスーハースーハーしながら痛みに耐えること10分ほどだろうか、

D r「入った!!よし!」

良かった〜終わった〜。と思ったのも束の間。造影剤を入れていくとまた違う痛みが襲ってきた。お腹と腰が中から破裂するのではないかという痛み。

私「痛い。痛いです。」

D r「もうちょっとがんばれる?この検査で通ったら妊娠しやすくなるから。右は通ったからあとは左だけ!」

内心、、、通らんでもいいからもうやめてくれーーーー!!!!

私「う、、、もうちょっとなら。頑張ります。」

造影剤を追加され、また激痛。耐えれなくなった。

D r「無理やね。やめとこか。左は詰まっとるな。」

もう、何も考えられなかった。フラフラで待合に戻ったが気分不良が続き、車でしばらく横になって休んでからゆっくり帰った。

問題がもう一つ追加になった。左卵管狭窄。右からの排卵しか人工授精しても確率が低いと言われた。クロミッドで卵を育て、排卵誘発の注射を打ち、タイミングと人工授精をした。仕事は昼から出勤にしてもらい、朝イチでクリニックに通った。その人工授精が痛いのだ。頚管狭窄があるからと今となればわかるが、当時はみんなこの痛みに耐えてるのだと自分を奮い立たせた。

3ヶ月ほどチャレンジし、陽性が出ないまま、緊急事態宣言がまた出た。医療現場はまたキツくなった。仕事でのストレスも増加した。夫と話し合い、また中断することになる。

悔しいけど、中断していると、穏やかに過ごせる。喧嘩もしないししんどくなることも減った。本来の自分の姿はこれなんだと痛感する。何のために不妊治療をしているのか、わからなくなる。ただ、自然妊娠できない焦りが襲ってくる。こうしている間にもみんなは頑張って治療を続けて、妊娠しているのに、自分は逃げていると責めてしまう。

無駄なことなんかないと言ってくれ、なによりも私が大事だと言ってくれる、普段は不器用で愛想のない夫の言葉だけがその時の私の支えだった。

私には1番近くで一緒に頑張ってくれる人がいる。だから今でも前向きになれる。次々に現れる障壁はどんどん突破が難しくなるけど、壁の前に立ち止まることも多いけど、1人じゃない。

休んでもいいと思う。遠回りをしてもいいと思う。全速力で走り抜けてもいいと思う。どれもこれも自分だ。

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