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【百線一抄】049■昼は灯を消す朝夕の通勤路線-鶴見線

身の上は昔も今も変わらない。すべては工業地帯に出入りするモノ
か人、それを運ぶのが使命という路線がある。3両の通勤電車が、
キビキビと頭端型ホームに入っては出ていき、ホームに集う乗客を
黙々と朝は飲み込み、夜は吐き出す。大半の駅は乗降に特化してお
り、扉付きの改札機すらない。政令市内とは思えぬ独特な光景だ。

沿革もまさしく京浜工業地帯の歴史をなぞる如くの様相を成す。当
時の財閥筋と縁のある駅名が多いことが、それを物語る。大正時代
の末に工場への物資輸送を目的として貨物線の鉄道会社が設立され
た。鶴見臨港鉄道である。基本的に鶴見を拠点とした運行ダイヤが
組まれているが、路線自体は浜川崎側から展開された歴史を持つ。
日を追って拡大する輸送需要に対応すべく路線網が整備され、工場
の通勤客を捌くための旅客輸送開始までに時間はかからなかった。

世の中が戦争一色に染まるなかで、工場の増産は増加の一途をたど
る。並行して通勤客も増えるのは必然であり、女性労働者の増加に
は専用車の設定で対応した。資材が充分でないにも関わらず輸送力
も確保しなければならず、国内初の4扉通勤電車がこの線でお目見
えとなった事情も、すべては戦時需要によるものだったのである。

被災した線路の復旧が進むとともに私鉄時代の車両は他線へ転出す
ることになり、車長の短い省線電車に統一された。高度経済成長期
は大きな変化はなかったものの、戦前から活躍してきたの電車の老
朽化によって、大半の電車が大型のものに入れかわった。武蔵白石
駅と大川駅を結ぶ支線の構造上、大型車が入れない事情から、引き
続き旧型が残った。大型車が高性能車に置き換わってからも活躍は
続き、平成時代の首都圏に残る最後の省線電車として注目された。

もの珍しさを満喫するのであれば、路線の駅を訪ね歩くのも鶴見線
の旅としては悪くない。例えば海芝浦駅のように駅舎から出ること
を阻まれる駅もあるかと思えば、市中では見かけない風貌の車がそ
こここで産業道路を往来する光景を目の当たりにする。駅間距離も
それなりに歩けるところが多いので、電車を降りて次の駅まで歩く
面白さもある。朝夕は頻繁に電車が往来するが、日中は2時間ほど
も間隔が開く時間帯もある。工場が醸す機能美を楽しむために沿線
へ足を運ぶ人もいる路線。朝昼夕で大きく変わる表情も魅力的だ。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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