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確率に何を求めるか(1)

世の中にはさまざまな“確率”が存在しています。

百分率で表されることもあるし、分数でいう場合もある。

国内だと歩合でいう場面もありますし、「五分五分」とか「九分九厘」とかいう事実上の“表現”として登場することもあります。

ところで、確率とはどのようにして求めるか?となると、理系の方々はたいていの場合ほとんどの方がサラッとお答えになるのですが、文系の方々は結構ザックリとお答えになって、しかもそれが文字通りおざなり的。

で、本題。確率を求めるには、まず「前提」が必要です。

これは数学を学ぶと出てくる「同様に確からしい」ものでないと話にならないというところがスタートラインです。

簡単にいうと、ある行動や現象についていくつかの結果が想定される場合、その行動や現象の結果はほぼ同じぐらいの可能性で生じることが確実である、そういったことが前提にあります。

なので、メニューがないお店で来客が何を注文するかを確率で求めるのは不適切(現象が無限大に存在し得る)ですし、初対面の人にプロポーズして成功する確率なんていうのも、関連する条件が多すぎて(逆に少なすぎて)わからないともいえそうです。

では、「同様に確からしい」内容であれば確率は出せるのか。

答えは、前提となるすべての現象数が判明すれば、求めたい現象数をすべての現象数で除する(割る)ことで確率を求めることができます。

すなわち、立方体型の標準的なサイコロ1個を振る動作であれば1回あたり6通りですし、よくシャッフルしたトランプ(ジョーカー除く)からカードを1枚抜くという動作であれば1回あたり52通り。ハートのカードを1枚抜くのであれば13通りということになります。

言うなれば、世の中の確率はすべて「あるできごとがおこる回数(件数)÷すべてのできごとがおこる回数(件数)」で算出されたものだと考えてよい、となります。

そうすれば、「あの確率」とはどのように向かい合えばいいのかが見えてくるような気がしますね。またの機会にでも挑んでみようと思います。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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