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懐古礼賛の押し売り

「あの頃はよかった」は齢を重ねれば重ねるほど、数も増えてきて磨かれて美化されていくもの。それはおそらく誰にでもありそうなことかと思います。自身、中高時代や大学生の頃、社会デビューから数年の間ときて業界最前線を突っ走っていた時代、さらに直近でいえば地震や台風に振り回された年のことや緊急事態宣言下の日々と、それぞれに自分なりの「よかった」があります。

趣味の世界でもそれは結構あるあるで「あの頃はよかった」話が出てくるのは世代の幅が広がれば広がるほどその類例もいろいろ出てきます。おおむねはその人柄がにじみ出るエピソードがらみで出てくるものなので、趣があったり微笑ましかったり、時として驚きや感心がついてくることから楽しい交わりを紡ぎ出す”肴”となるのですが、こういった場面において惜しむらくは、一定の向きに「『あの頃はよかった』の押し売り」が存在していることにあります。

世の中の変容は言うまでもなく世の常。なのにも関わらずそれに託けて「あの頃はよかった。それにひきかえ今はどうたらこたら」と現代をさんざんこきおろしておいて、あんたらは気の毒だとか、われわれは恵まれていたとか、それを体感する術を持たない面々に対して朗々と語りつけていくのです。

受ける側、とりわけその頃の事情に対してピンとこない側としては「はあ」の一言すら出てこないような話題の展開なのに、押し売りしている側が”店頭に並んですらいない不興”を勝手にお買い上げなされて「話のわからんやつらだ」と星半分評価を先方に焼き付けてしまうのだから、その場に入る面々はただただつまらなく、たまらなく、やるせない。

SNS上でもこういった書き込みを見ることがあり、発信者はだいたい同じような立ち位置の方々。しかも、こちらからお招きした覚えはないのにも関わらず赤の他人の共有や拡散がきっかけというだけで、呼び鈴も押さずにズカズカ入ってこられるのだからどうしようもない。
涼しい顔で受け流すというのもありそうですが、時として居直られてしまうこともあることを思えば、世間でいう”大人の対応”をする術についてもオンオフ問わず、ノウハウがいるのかもしれませんね。

立ち位置柄、あちら側にいつでもなりかねないところにいる状況なので、他山の石とすべく書いておこうと思います。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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