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【百線一抄】054■若きかもめが憩う忘れられない帰り道―大村線

湾岸をなぞるように走る単線のローカル線。長崎と佐世保をつなぐ
姿こそ地方都市を結ぶいち路線に過ぎないが、世紀をまたぐその来
歴は、国内鉄道史の縮図というにふさわしいストーリーを紡ぐ。明
治から延びてきた長崎の鉄道は、佐世保へ到達すると同時に大村へ
の道程を繋ぎ、ほどなくして県都長崎への全通を成し遂げている。

ゆえあって主要幹線としての任を担ったこの区間は、国有化により
国の重要拠点を結ぶ路線となるが、昭和に入って鳥栖と長崎を直結
する有明海沿岸の線路がつながると、そちらが本線として扱われ、
枝線だった佐世保線が肥前山口からの路線となって、早岐から諫早
までのこの区間が大村線と名乗るようになった。地位としては支線
で甘んじるようになったものの、長崎全通以来の幹線としての役割
は、大村線回りの直通列車があり続けることでそれを示していた。

快速列車が通過する駅の一つに南風崎駅がある。彼杵と並ぶ読みか
たの難しい駅として挙がる駅だが、実は戦後混乱期の歴史をひもと
けば「引き揚げ」の項で話題に上がってくる駅なのだ。戦争が終わ
れば外地での居場所がなくなる。その人々が本土に戻って帰着する
場所のひとつがここ、南風崎近くに所在する佐世保港浦頭だった。

検疫を受けた人々は、南風崎始発の引揚列車で一路故郷へ向かう。
復員となった兵士や民間人を乗せて、のべ千本を超える列車がここ
を発車していった。佐世保に引き揚げてきた人の数は、引揚者総数
から見ると実に5人に1人、約140万人にのぼった。帰郷者の便
宜を図った引揚列車は、当時の時刻表にもしっかりと掲載されてお
り、重要な役割を担っていたことがうかがえる。無人駅となった今
の姿からは思い起こしにくいが、駅の掲示版がそれを静かに語る。

諫早と竹松の間では、並行して新幹線の建設が佳境を迎えている。
乗り換えを伴うものの、武雄温泉と長崎を先行開業して所要時間を
縮めることができる。新幹線の開業とともに新駅も2つ仲間入り。
時の流れとともに姿を変えてきた大村線は、線内の主軸を担う車両
も最新世代にシフトした。やさしくて、ちからもち。静かな大村湾
岸を往来する列車は変わりゆくけれど、長らく運んできた想いをつ
なぐ姿は揺るぎない。新たな風が運ぶ日常は、これから紡がれる。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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