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【百線一抄】044■つなぐ熱意はなかなかのもの-阿武隈急行

隘路を打開する術は多様に存在する。橋を架け隧道を掘り、線路を
増やす。それもできることなら、なるべく平坦に、緩やかに。急な
勾配が輸送力を高める枷になっているならば、それを解消するルー
トを検討するのは世の中のならい。その視点からすれば、大きくそ
の装いが完成時期によって変わっていた可能性を持つ路線がある。

大正時代、阿武隈川沿いに並ぶ集落群が鉄道敷設を求めるが、手応
えがないまま戦後を迎える。丸森など宮城県側の集落と福島県側が
手をとりあうように鉄道誘致を働きかけるようになると、建設線と
して福島と丸森、槻木を結ぶ丸森線の追加にこぎつけた。しかし、
流れは東北本線の複線化と電化に向いており、丸森線建設への取り
組みはなかなか前進が見られなかった。ひとたび建設工事が始まれ
ば進捗は早く、約6年で宮城県側の槻木-丸森間が先行開業した。

長引く建設期間は結果として従来路線の改良や新幹線の開業などで
完成に向かうことなく計画凍結を招く。先行開業区間は利用が伸び
悩み、早々と廃止路線候補としてリストアップされる。路盤敷設が
完了した区間も多い状況ながら、全通後も運営が難しいという判断
に、沿線自治体は全線開通を前にして厳しい状況へ追い込まれた。

引き継ぎにあたっては、沿線市町と福島交通が参画することとし、
とにかく凍結部分の建設を再開、全通を目指した。移行初期は車両
を国鉄から借りて運用し、全線開業とともに交流電化も実現。電車
も導入して東北本線との直通運転も南北双方で始まった。数少ない
民間資本主導の第三セクター路線や、JRを除いて交流専用の電車
を唯一所有する線として話題となるが、東日本大震災や自然災害に
も屈せず、今は県や自治体が中心となって地域の足を担っている。

迂回路としての計画から長年を経て、地域密着型の路線として育て
られてきた阿武隈急行線。飯坂温泉ゆきの飯坂線と頭端型ホームで
身を寄せ合う様子は、電車の大小差もあって微笑ましい光景だ。い
ざ出発すれば、ほどなく高規格の路盤の上を颯爽と走り抜ける。さ
らに奥へと進むには梁川や丸森で乗り換えとなるが、同じホームで
迷うことなく乗り継ぎできる。飯坂温泉を利用できる1日券を握り
しめ、乗り鉄と温泉旅を合わせて楽しむのもなかなかの醍醐味だ。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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