空き家の魔と魅力について。
※mixi日記/2012年01月10日 より転載
犬と散歩するようになって、しげしげと近所を歩き回るようになってまず気付いたのは、意外と空き家が多いなということだった。
駅に行くような用事では絶対入らないような脇道を犬と歩き回っていると、戸建の住宅が集まっているエリアに入り込んだりするのだが、あれと思う程空き家に出くわす。
私たちの散歩タイムが深夜と早朝のため、電気が消されたり、雨戸を閉められたりして明かりが見えないお宅は多いが、空き家は明らかにたたずまいがちがうから分かる。
ひとが住んでいる家は呼吸しているように思う。と、いうか、生々しい息遣いがあって、動物のような印象がある。
空き家はちがう。決して死んではいないが、冬眠している動物のような感じがする、と言ったらいちばん近い印象になるだろうか。体温が低く、脈拍と呼吸も緩やかで、最低限のエネルギーで生きている感じ。壁や窓が乾燥した肌のように見え、庭やポーチがぼさぼさの雑草に覆われ、金属の囲い塀には錆が浮いている。
この、死んではおらず緩やかに生きているというところが、空き家の怖さであり魅力なのだなと思う。一度誰かが住んだことがあるということは、かくも重い現実なのだと思い知らされる。
私は真っ暗な夜道を、犬と、こわごわと空き家に目を向けながら通り過ぎていく。目をそらして足早に通り過ぎることは出来ない。つい、じっと見てしまう。
ところで、うちから徒歩1分もしないような近所に、ものすごく気になる空き家が最近まであった。
一般的な2階建ての戸建で、狭い庭は荒れ放題、壁はところどころボロボロで、2階のベランダはてすりがひしゃげてとれかかっていた。
実はいつ頃から空き家になったのかハッキリしない。10年以上前からその家は荒れ果てていて、人がいるようにも思うしいないような気もした。珍しくどちらか分からない家だった。取り巻く空気は重く、もし誰かが住んでいたとしても、失礼だが幸せではなさそうに見えた。
結婚して間もない頃だから、いまから11年程前。真夏の真昼だったと記憶しているが、ダンナと件の家の前を通りながら、ここは空き家か? そうでないのか議論していたら、いきなり玄関からおじいさんが出てきた。髪は結構ふさふさで、でっぷり太ってタンクトップとステテコのようなものを着ていた。ダンナは小声で「人住んでるじゃん」と言ったが、私は妙に思った。じいさまは確かにそこにいるが、門を見るとやっぱり空き家のそれみたいにチェーンがぐるぐる巻き付けられて閉ざされていたのだ。そもそも私が空き家だと思った根拠のひとつが、門に幾重にも巻き付いたそのチェーンなのだった。家人がいるのならあんなに面倒な施錠はすまい……。
結局そのじいさまを目撃したのは、それが最初で最後だった。その後その家は、相変わらず人がいるのかいないのか分からないムードのまま、加速して朽ちていった。私は何となくその家を恐れた。夜、自販機まで行くとき、行きは目をそらしたのに帰りは凝視したりしながら歩いていた。バカげた考えだが、夏にみかけたじいさまは、人間だったのだろうかと疑ったりした。表札なんてなかったから超近所だが名字も知らない。じいさまは私の中で、勝手に名無しの幽霊のようなものにされていった。真夏の真昼の幽霊……。
実はいま、この家に関することで、私は激しく動揺している。
年末に遂にこの家は壊された。陰気臭く生い茂っていた庭木たちも根こそぎ掘り返され、捨てられた。いまは更地になり、平らにならされてしまった。急に何もなくなったので、裏の家が気の毒なくらい丸々往来に晒されている。
私は偶然この家が壊される過程を目撃したのだった。
年末のある日、深夜に犬と通りかかったら、半壊した家の前にパワーショベルが置き去りにされていた。恐らく数日に分けて取り壊す予定で、その日はパワーショベルをそのままにして職人さんたちが引き上げたのであろう。
私はあっと驚いて足早に近付いていった。
見ると家の前面の、向かって右から半分が取り払われて、家の内部が剥き出しになっていた。そこは台所だった。流しの下の棚の扉に張られたクロスの模様が、いかにも昭和風で、流しにはボディが白くて四角い、腕を横に張り出すようなかたちの旧型の湯沸し器がついていた。そして流しの上の小さい棚には、茶碗やコップが生活していたそのままのかたちで残されていた……目を凝らすと、パワーショベルの前に、割れた瀬戸物の破片がいくらか散らばっていた。この家の人は家財道具をそっくり残したままこの家を去ったのか……それはどんな急変だったのだろう。私は何故だか強いショックを受けて茫然としてしまった。
翌日は更に壊されて、台所の奥の畳の部屋がさらけ出されていた。向かっていちばん左側が押し入れになっていた。押し入れの襖が全開になっていて、上段にきちんとたたまれた蒲団が入っているのが見えた。暗闇の中で見たものなので、もしかしたらちがっているかもしれないが、押し入れの襖は黄色っぽい絵が描かれているように見えた。畳はいかにも古く、毛羽立っていそうだったが、私がこれまで何度も勝手に思い描いていたことと決定的にちがっていたのは、その家の内部はかなり片付いていたということだった。壁を丸々ブチ壊されて、瀬戸物や壁の破片があちこちに散らばってなお、元いた人のきちんとした暮らしぶりが伝わってくるようだった。
私はその暮らしぶりが想像ほど荒んでいなかったらしいことに、ほっとすると同時に、より気持ちが沈むのを感じた。全く失礼な話だ。勝手に謎に思い、怖れ、荒んでいるのではと思い込み、あらわになった屋内を覗き込み、またしても勝手に元住人の気配を感じてブルーになったりするなんて。しかし、私はこの家にきちんと住んでいたであろう住人に思いを馳せずにはいられなかった。このように家財道具を丸々残したまま、蒲団や茶碗ごと家をブチ壊されるなんて、何ともわびしい気がして仕方なかった。
私はその夜、夢を見た。
件の家に、夢の中で私はひとりで住んでいる。夜中にふと寝苦しくて、起き出してあの台所で電気もつけずに蛇口をひねり、コップで水を飲んでいる。ふと、闇が凝固し、何かの濃密な気配を感じる。私は動けなくなる。気付かなかった振りをして、急いで蒲団に潜り込んでしまいたい。が、動けないでいる。何故ならこの気配の正体がいるのが、ほかでもない奥の寝室だから。それは蒲団の横で、蒲団を覗き込むようにして座っていることだろう。私はその真っ黒い影を無視して蒲団に潜るような芸当は出来そうにない…
こんなバカバカしい夢を見て震え上がったのも、あの家が壊される過程で、茶碗などの生々しい生活の痕跡を見てしまったせいだと思う。願わくは、もうこのような機会はないものであってほしい。
いや、本心をいうと、私はやっぱりそういうものに、繰り返し出会いたい。
繰り返し、他人の生活の侘しい一面を、盗み見たい。
覗き見趣味のようなもの。
空き家はそういう、いろんな人間が住んだ気配を押し包んで、驚くほど近くに、今日もひっそりと佇んでいる。
私は恐る恐る外側から伺うだけで、その秘密の真実をほとんど知ることは出来ない。
こういう怖がる気持ちがエスカレートして、数々の幽霊屋敷伝説が生まれたのだなと思う。古今東西を問わず、多くの人間が空き家の魔力に魅了されるということなのだろう。
皆さんのご近所にも、魅力的な空き家はありますか?
そこに、住んでみたいと思いますか?
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