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怖い話・・・ではありませんが、私が知っている全てです。

夏なので怖い話をしたいのですが、私自身が体験した話は前にしたような記憶がありますので、今回は私の祖父についての話をします。

山や海に行くと色々な生き物に出会いますけど、すごく敏感な事に気づきませんか?
人間の視線を完璧に捉えているし、危険を察知する能力は人間の数百倍にも及ぶでしょう。
地震の前に動物が騒いだとかって話もたくさん聞きます。
色んな生き物を飼っている私には良く分かっています。

そこで逆に考えるわけです。
人間も自然に暮らす生き物から進化してきましたから、そのような能力が備わっているのではないかと。
こんな話をすると下世話ですが、女性なんかも男性の視線には気づくって言いますよね。

もし感覚を研ぎ澄ませる努力を積めば、自分の見えない世界も見えるようになるんじゃないかって、スピリチュアルな妄想をしたりします。

私は、ある一定以上の訓練と経験を積んだ人は、そのような能力に目覚める事ができると信じています。
鋭い感覚を持つ人は、常人の感覚を超えてしまって「なにか」を察知することができるようになると思うのです。

「あののぉ、パパに電話してほしいんよ」
私が中学生の時分、あれは休みの日だったと思います。
朝、祖父に頼まれました。
私の父に電話してほしいと。
父は単身赴任をしていて、普段は家から離れていました。数か月に1回程度帰ってきて会う事ができます。
もちろんこっちで暮らす母とは連絡は密に取っていました。なので何も心配はいりません。

「時計がな、止まったのよ。パパの心臓が止まった時間にな」
祖父は父の心臓が止まった時間を気にしています。
数年前、深夜に父は心筋梗塞を起こしてAEDを使う事態になっていました。それを気にしているようです。
祖父の話をよく聞いてみると、父が発症したのと同じ時間に「10秒程度」部屋の時計が止まっていたというのです。

その話がそもそもおかしくて。
なぜなら父が発症した時間というのは、深夜の1時半くらいだったからです。発症した当時も祖父は寝入っていましたし、1分1秒確実に覚えているはずがありません。
さらに言えば、同様の理由で今回の話の時間に祖父が時計を見つめているわけがないのです。

祖父はだいぶ変わった人でした。
大正生まれってあんな感じなんですかね?
物悲しい、常に静かな雰囲気を漂わせていて、妻や子供や孫に囲まれていても、どこか悲しげなのです。
午前中は庭仕事をして、午後は新聞を読みながらのんびり暮らしています。

声を荒げるのは、テレビで野球を見ている時だけ。
「ばか」
と大声で叫びます。

戦争に、行きました。
その話を祖父から聞く事はできませんでした。
中国大陸に渡っていたようです。
ただ、祖父から漂う物悲しさは戦争体験から来ている事は明らかでした。

熱心な宗教家でした。
天理教の教会長の資格を持つまでのめり込み、それでいて自分で教会を開く事がありませんでした。
毎月家に天理教の先生が来るのですが、先生が「この教えについてどう思うか」という事を聞くと、一瞬で「それはこれこれこうです」と答えていました。
後で分かったことですが、祖父は天理教を研究するためのノートを数冊作っており、そこには教典を独自研究した形跡を残していました。天理教の通常の信者が行う、数日や数か月では到達できない領域です。
天理教に傾倒しながらも、毎日仏壇で念仏を唱えていました。
神社のお守りも、大切にしていました。

ただ、とにかく年相応の経験を積んだという自信過剰な様子は一切なく、笑う事も怒る事も必要以上に行わず、ただ涼しい顔をして座っている姿でした。

「あんたのおじいちゃんは、霊的なものが分かる人だった。私にも感じられない、何かが分かる人だったのよ」
祖父の葬式からしばらく経った後、そのいつも通っていた教会の先生から言われました。

祖父のルーチンワーク、1日の最後にやるべき仕事は戸締りでした。
「●●ちゃんがおるからの」
妹が年頃になった時、より厳重に戸締りに気を配っていました。

私の家は古い旧家のような広さがあり、夜は静寂と暗闇に包まれます。
部屋から漏れる光を頼りに、廊下をミシミシ言わせながら歩かなければなりませんでした。
祖父は、懐中電灯一本持って、家の全ての窓のカギを閉めて廻ります。

悪い足を引きずりながら、懐中電灯をピカーと光らせて、ぎしぎし・・・みしみし・・・
音を立てているので、祖父が戸締りをしている事がすぐにわかりました。

ある日の事でした。これも私が中学生の時だったと思います。
私が風呂をもらおうと自分の部屋を出ると、祖父が南向きの「おもて」と呼ばれる広い部屋の窓のそばに立って、一点を見つめているのです。

懐中電灯は南側の庭の、さらにその向こうの荒れ地を照らし出していました。
私が「どねーかしたか」と尋ねると、祖父は言いました。

「あれはなんか」

祖父は、何もない土地の方を指して言いました。
私には何も見えません。南側の低い垣根の向こう側は空き地なのです。そのさらに遠くに街灯りがあって、時折道路の信号が青から赤、赤から青と変わっているだけです。

「なんかしよる」

祖父は誰もいない土地をライトでグルグル照らし出して、誰かが何かしていると主張します。
私には何も見えず、ただ困惑するばかりです。

次第に祖父は興味を無くしたようで「なにをしよるんじゃろ・・・」と呟いて、また床をぎしぎし言わせながら去っていきました。

それ以外にも、突然水道屋さんを呼んだかと思うと水が濁っていると主張したり、灯りがチカチカすると言って電気屋さんを呼んでみたりしていました。
いつも病院が嫌いで行きたがらないのに、今日は調子がおかしいから救急車を呼んでくれと母に頼んだり。

その奇行とも言える行動は、常に冷静な祖父には似合わないものでしたから、一つ一つ覚えています。
繰り返しになるんですが、大正くらいの生まれの人って、そんなものなのでしょうか。

その祖父は今から9年前に亡くなりました。
93歳でした。
年相応の認知症と、ガンに苦しんで亡くなりました。

その最後は厳しく、病棟に行くと祖父が「おーおー」と苦しむ声が響いていました。

最後の日は、花火大会の日でした。
街中が混み合っていて、祖母が病室に着いた時には冷たくなっていたそうです。

通夜の前に、納棺があります。
私は納棺の前に、教会の先生に勧められて天理教のおまじないを行う儀式をしました。通常は病気を治す為に行う儀式ですが、納棺の前に行う事もあるそうです。

祖父の亡骸に触れたとき、祖父の一部が私自身に流れ込んでくるような・・・
熱い氷をぞおっと身体が駆け巡る感覚を味わいました。

私は今でも、あの時祖父のちからの一部を、私自身に受け継いだのだと感じています。
なぜなら、今も私を見ている・・・感覚を、徐々に感じつつあるからです。

ふとした街の陰、山の木々の陰、遠い海の裏側・・・。

今でも私は祖父の事が好きなんです。

それでは


インターネットを渡り歩いてまだ6年、色々なカテゴリを楽しみ、「消費者」として生きています。 そんな文化の消費者の毎日思ったことアレコレを書いていきます。雑記。