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1日5時間くらいゲームします

WoT(World of Tanks)というゲームは大変な時間泥棒で、うまくなったり欲しいアイテムを入手するには自由時間の全てを注いでプレイしなければならないのだが、これを好き好んでやっている人間が日本には何人もいるらしい。

ゲームって言うと「楽しむもの」という子供の頃の概念が、少しずつ変わってきている。
ゲームには苦痛も伴い、やる気を無くしたり、怒ったりすることが多々あるというのは現実だ。私はWoT以外のゲームはあまりやらないが、APEXなどのFPSをやっている人もかなり神経質に、時には怒鳴り散らしながらやる人もいることを知っている。

この苦痛のゲームプレイの先に、達成感という得難い快感を得るがために、ゲームで「努力する」ことが流行り始めているのだ。ゲームというのは短絡的に「楽しい」だけではなくて、「頑張るから楽しい」という概念にシフトしつつある。
もちろんプレイボタンを押すだけで楽しいゲームもまだあるし、誰かと一緒にプレイする事で楽しみが倍増するゲームもたくさんある。

ゲームが多様化している。
自分はゲームに関して出遅れた家庭で生まれたので、多様化を感じる事は遅かったが、それでも近年のオンラインゲームの広がり方はひしひしと感じている。
ここ20年くらいの話だと思う。任天堂のゲーム機で、誰かの家に集まってガチャガチャとプレイするだけでなく、携帯(スマートフォン)でやるソーシャルゲームや、ハイエンドPCでプレイするオンラインゲームなども流行りはじめ、最近はスマートフォンで中高年がプレイするハイパーカジュアルゲームなど、多種多様だ。

その中で、ゲームが本当に好きな人たちが、苦しみの先にある解放感を求めて、ゲームでスポーツを始めた。これこそEスポーツであるが、これも多様化の一つの形だろうな。

私も最近は苦しみながらゲームをしている。平日なら1日5時間、休日なら10時間くらいプレイするが、その大半の時間を占めているのは「苦痛」の感情だ。これが解放された時に喜びに変わる事が、待ちきれずに何時間もプレイしているのである。そして同じように苦しんでも、飽きない。

苦しんでやることを否定する人もいるだろうが、それは過程にすぎない。
ゲームの楽しみ方は人それぞれ。苦しんでやることを楽しみにしている人もいるってことなのだ。

ゲームについてはこんな感じかなぁ。
今日は余り書くことがなかった。
では


インターネットを渡り歩いてまだ6年、色々なカテゴリを楽しみ、「消費者」として生きています。 そんな文化の消費者の毎日思ったことアレコレを書いていきます。雑記。