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あにまーれ4周年に供する

先日チケットを買った記事も書いたのでそちらも是非読んでください。

最近は早寝早起きを習慣にしていて、23時まで起きている事は余りないのだ。そういう事で、4時間半あるカウントダウン配信も、変なあにまーれもアーカイブで視聴した。チケットもアーカイブで視聴することになる。
恐らく江戸時代の民衆が寄席を鑑賞する感覚で、私は配信を見ている。慢性的な鬱病の私を唯一笑顔にしてくれるのが、彼女たちの配信だ。

4年前、配信を見始めた時、世の中に有閑喫茶あにまーれほど「揉まれた」グループはなかった。
彼女らは「アイドル性」という定規では、同時期にデビューしたホロライブ1期生に劣るかもしれない。にじさんじは当時SEEDs組がデビューしていた。新興勢力のホロライブと、勢いの激しいにじさんじの視聴者獲得合戦の中で、あにまーれは弱く、泥水を啜るしかなかった。
しかしその中で有閑喫茶あにまーれが生き残ってこれたのは、メンバーの個々の能力と、「それでもやってやる、続けてやる」という強い志によるものが大きかった。

あにまーれの暗い歴史っていうのは、そういう企業Vtuberのせめぎあいから始まっている。黒猫ななしが本人達に口を酸っぱくして言っているであろう「過去を振り返っても何も生まれない、前を見るしかない」のような言葉は、それなりの重さがある。あにまーれを去った人数は、それだけ振り返れない過去の数を示していると思う。

しかし黒猫が言う必要がない事もあった。彼女たちはどのグループのVtuberよりもリスナーを大切にしていた。

2018年の冬、因幡はねるのクリスマス配信で、私は初めて彼女の凸に参加した。今でも鮮明に思い出す事ができる。
因幡はねるが最初に言い放った「最近はどうよ?」という一言で、私は彼女の濃い歩みを思い出し、少し嬉しかった。
「22歳?まだまだだね」という言葉からもう4年が経つ。26になっても、魅力的な男性でない私は、彼女の言いつけ通り童貞を守っている。
因幡はねるは、今も昔も、リスナーを第一に考えるVtuberだ。

あにまーれの暗い部分を忘れてしまおう、という黒猫運営の考え方に、私は賛同できない。なぜなら、暗い部分も含めてグループの「芯」だと思うからだ。あのギクシャクした「NG無しのあにまーれ」を見ずに、グループの深い部分まで理解できるか?羽柴や白宮が居た頃の、誰が喋ってるのか分からない雑然としたグループ通話を、忘れる事ができるか?それ無くして、現在のあにまーれを作る事ができたのか?

少なくとも私は忘れないだろう。お稲荷についていくので必死だったPUBGも。ひなこが作ろうとした王国も。心の中で、なかったことにはできないのだから。

今5年目を迎えて、改めて感慨深い。WASDの操作が分からなくてオロオロしていた因幡はねるが、麻雀のプロとゲームをするようになった。私がにーちゃんからオジサンになっている間も、グループは成長を続けた。みるちーずという愉快な仲間が現れた。宗谷さんが卒業し、フリーになった。らんちゃんは相変わらず酒を飲んで暴れている。瀬島とひかりはいつも笑っている。風見くくがピヨーと鳴き、柚原いづみは泡風呂になってしまった。

来週にはライブがあって、盛り上がるだろう。みんな練習をがんばっている。誰もが尊いと言われる世界で、誰よりも輝いてステージに立てるのは、貴方たちあにまーれの努力の結晶だ。

一昨日、Tシャツが届いた。背中に、あにまーれ全員のサインがプリントされている。今日はそのTシャツを着ている。
嬉しかった。多分これからも、嬉しい事が続くのだと思う。

ありがとう、あにまーれ。
貴方たちを見ていると、本当に嬉しい。貴方たちの見せる、少しずつ違う世界の明るさを、私は目を細くしてみている。
最高の笑顔をこれからも届けてくれると思うと、胸が高鳴る。

おめでとうあにまーれ
これからもよろしく。


インターネットを渡り歩いてまだ6年、色々なカテゴリを楽しみ、「消費者」として生きています。 そんな文化の消費者の毎日思ったことアレコレを書いていきます。雑記。