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御利益とは何か(あるいは宗教の世俗化について):AM

玉光神社の「御利益」とは何か?

先日甥と二人で歩いているとき、玉光神社の近くを通ったので、
「ここが玉光神社だよ」と教えると、
「どんな神様を祀っているの? 御利益は何?」と素朴に聞かれました。

確かに、神社の一般イメージは、例えば天満宮であれば学業成就、出雲大社であれば縁結びのように、何らかの「御利益」と結びついています。

では、玉光神社はというと……

玉光神社の御祭神である玉光大神様は、様々な願いを叶えてくれると言われていますが、

今〔1932年〕から五年の後、天がさまさまになるような戦争がおこる。吾はそれを済度に降った神

本山キヌエ『玉光神社 教祖自叙傳』宗教心理出版、1975年、24頁

と、ご自身のことを述べられたと言われています。

そこで、甥に「御利益は世界平和だよ」と言おうかとも思いましたが、
それは「御利益」なのか?
と思い、言うのを躊躇いました。

なぜかと言うと、おそらく甥の言う「御利益」とは、それこそ、健康だとか恋愛成就だとか、個人的な「御利益」であると思ったからです。
つまり、「世界平和」は「御利益」として認識されないのでは? と思ったのです。

宗教の「世俗化」

話は少し変わりますが、近代社会において宗教は「世俗化」してきたと言われています。

世俗化とは、諸説ありますが、基本的には宗教が担っていた分野や機能、例えば政治、科学、医療、教育、芸術などといった様々な分野や機能が、宗教の手から離れて、世俗的なものになっていくことを言います。
つまり、宗教は色々な分野に対する影響力を失っていくというのが世俗化です。
(これを宗教の「衰退」ととるか、「純化」ととるかは立場によって異なります。)

日本で言えば、江戸時代には寺請制度、檀家制度といって、すべての国民はおしなべて仏教徒にならざるを得ませんでした。
したがって、仏教が戸籍の管理をしていたわけです。
それが明治になって、戸籍管理などは政府などの世俗組織が行うことになります。
他方で、明治には神社神道が大きな影響力を持ちましたから、戦争の末期には神社参拝などが、教育現場でも取り入れられたりしていました。
しかし、戦後は神社参拝が授業の一環として行われることはあり得ません。

このように、宗教の社会的影響力がなくなっていくことを、「世俗化」というわけです。

御利益の「個人化」

その世俗化の一つの側面として、「私事化」というものがあります。
「個人化」と言い換えてもいいと思いますが、宗教が私事となり、個人的なものになっていくことをいいます。

例えば、昔は神社は村や町で運営されていて、村祭りには村人総出で参加するのが当たり前でした。
つまり、神社に対する信仰というのは、個人で行うというよりも、村全体、共同体で行う、公の行事でした。

先祖供養もそうです。
個々人が自分の先祖を供養するというよりも、「家」単位で行うのが普通でした。

しかし、宗教の影響力がなくなると、強制力もなくなりますから、宗教を行う主体は村や家ではなく、個人になります。

そうして、宗教とは個人が関わるものであり、個人の選択の自由であると考えられるものとなってきたわけです。

話は戻りますが、ですから、現在「御利益」と言うと、村の発展や国の安寧、あるいは戦争における必勝祈願といった共同体(公)に対する「御利益」ではなく、個人(私)に対する「御利益」が、多くの人にイメージされるようになったと考えられます。

時代の変化と御神言

玉光大神様が降臨した1932年当時は、まだ「共同体の神様」ということが理解されやすい時代でした。
世界平和や戦争終結(必勝)を実現する神にリアリティがあったと言えます。
しかし、御利益が個人のものとしか考えられない今では、なかなか理解されがたくなってきているように思います。
私が甥への答えに窮した一因も、そこにあるのではないかと思うわけです。

とはいえ、教祖・本山キヌエによる『玉光神社 教祖自叙傳』には、数々の個人的「御利益」についての記述に溢れています。
病気が治った者、事業が成功した者、災難を逃れた者、様々な個人への「御利益」があったからこそ、神社も発展し、信者も集まってきたわけです。

ですから、個々人への御利益は大事なことだと思われます。
しかし、例えば、教祖の身を守るという個人的な「御利益」について、『神の末の末の業』とも述べられている箇所があるので(前掲書、33頁)、神社の伝統としては、個人的御利益ではなく、やはり「世界平和」といった、公の御利益の方に重きがあったようにも思います。

他方で、玉光大神様は降臨の折に、

本来神には名前も位もいらぬ。まして社なぞいらぬものぞ。なれども人を導くための方便として必要なのだ。玉光とはそちに与えた名前なのだ。

前掲書、24頁

と述べられたとも言われています。
つまり、「玉光大神」という名前も、玉光神社という神社施設も、すべては「人を導く」ための「方便」となります。

このように考えると、玉光神社で神様の言葉とされる「御神言」でさえも、当時の人たちが理解しやすい表現がなされているという意味で、「方便」かもしれませんから、現在の常識で解釈せずに、当時の時代状況を理解した上で読まないと、本質(真意/神意)は理解できないのかもしれません。
そうであれば尚更、「御神言」をただそのまま繰り返すのではなく、真意/神意に沿って今の世にあった表現や強調点を考えることは、とても大事なことであるような気もします。

ということは、「御利益」についても、時代に即した表現も必要なのでは……

そんなことを、甥の素朴な質問からあらためて思った次第でした。
しかし、何と説明したものやら……