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肉に横たわるマリアナ海溝より深い深い深い深い深い溝

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グルメ思考の強い60代

先日、とある有名料理雑誌社での出来事。ご意見番と見られる60代くらいの男性より「先日、鹿を解体されたそうですね。で、その鹿はどうやって食べたんですか?」と、ちょっと上品な雰囲気で問われた。僕は「ソースで食べましたよ」と即答したところ、「はっはっは、それは残念だなぁ!」と一笑に付されたのだった。そのことについて、僕は特段カチンとも来ず、なんだろうこの空気はモヤモヤ・・・、と思ってその場は何も言わずに済ませてしまったのだが、あれはつまり彼にとってみると「肉にソースをかけて食べるなんて、フランス料理の文脈でこれまでどれほどか数多のシェフ達がためされてきていて、ソースに頼らず肉そのものの味を味わいたいんだ俺は」というところから来ているんだろう。

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なんだが、我々は、鹿という生き物そのものの形状をしている肉体から、パーツを一つ一つ分離させていって、それを体に取り込むということ。流通の過程で切断されてしまった事実を肉体を通して把握すること自体が主目的なので、どのように味わうかは主目的ではない。なんなら、鹿が捕獲された現地での猟師さんの解体イベントに行ったら、基本はバーベキューで塩かけて食う、か、よくてカレー粉かけるくらいのところなんだから、ソースを準備しているだけでぜんぜん良い方だと思うけれど。それにゴルゴンゾーラチーズのソースをつけた鹿肉はかなり美味かった。

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「肉を切り身として食材として入手した先のことだけ特化したグルメなんてもはやナンセンス極まりないと、40代以下の我々の世代は思っているんです」。って、言ったら良かったのかもしれないけれど、まあ、肉にまつわる一つのジェネレーションギャップなんだろう。

肉自体を忌避する20代・30代

今度は一転、若い方のジェネレーションギャップについて。最近、食の場を共にした数人の女子が20代後半から30代前半で魚は食べても良いタイプのヴィーガンだという。何故そのようなスタンスを持つに至ったかを聞いてみたところ「肉を食べることは健康への問題の他にも、牛肉は環境負荷が高いし、その中でも特に工場畜産は問題だと思ってるんです!」という。思わず、「じゃあ、工場畜産の現場も見てきたら良いよ」と、言ったが、要するに彼女達の言い分としては、あの、年末年始にスーパーで死ぬほど売っている霜降りの牛肉みたいな、グロテスクなまでに太らせて失明寸前の牛からとれる霜降りの肉や、動物の権利を無視した狭い空間の中で、ただ食べものとしてだけ製造されているブロイラーの鶏に忌避感を感じているのだろう。または、そのような状況を改善することを自分達の世代の社会変化のコンセプトとして打ち立てたいという欲求もあるだろう。しかし、それがヴィーガンという手段である必要がどの程度あるのかは僕には解らない。徹底的にやりたければ禅寺での修行のような精進料理の世界もあるが、ヴィーガンという言葉につきまとう「物質」としてただ「肉」を排除するというスタンスはよく解らない。遊牧民はほぼ肉と乳しか食べないが、それによって健康を害するということは無いし、地球環境に特段の負荷をかけてもいない。(彼らは、そのために草を家畜が食い尽くさないよう、移動を繰り返しているのだが)むしろ、野菜だって地球環境に大きく負担をかけているケースが死ぬほどあるのだ。遊牧民と農耕民、どちらが地球環境に負荷をかけてきたかといえば、もう圧倒的にこれは後者なのだから、単に肉とか魚とか野菜、っていう物質の問題では無いのだ。

霜降りに誇りを感じるおばあちゃん

最後に、先日、岐阜県の山奥、郡上市の最奥の集落である石徹白(いとしろ)でのこと。当地にある「肉漬け」なる保存食の仕込みを取材していたあるおばあちゃん宅にて。「肉漬け」とは、要するに漬物よろしく白菜の漬物を漬ける要領で、白菜と一緒に肉(人によって豚肉でも牛肉でも鶏肉でも良いらしい)を塩で漬け込む。一緒に唐辛子か柚子が刻んで入っている場合もある。肉を漬け込んでいる時点で、これは朝鮮半島の文化が流入していると直感的に思ったが、どうもそう古い話ではなく、70年ほど前に朝鮮の人達が(おそらく戦時中の強制労働の文脈だろうか?)この集落に住んでいて、そのとき流入した文化らしい。そんな「肉漬け」を、その日取材していたおばあちゃんは豪勢に牛肉、それもすき焼きに使うような肉を漬け込んでいたのだった。取材をアテンドしてくれた、移住してきて○年の若者は「昔はたぶん、ジビエで作ってたと思うんですけどね」と言う。モヤモヤモヤ・・・・伝統食である正当性みたいなことを気にしているんだろうか・・・・そういうことなんだろうか・・・・?と、思った瞬間、おばあちゃんは「いやいや、昔から牛肉でやってたんだよ!それも肉屋がちゃんとあって、肉屋に買いに行ってねぇ」と、自身満々に語ってくれた。これはつまり、こんな山奥でも肉屋が営業していて、すき焼きに使うような霜降りの牛肉を売っていたんだ。ということへの矜持だろう。

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その後おばあちゃんに「でも、伝統的って、何年くらいで伝統的なものになるんだろうねぇ」とも言われた。やはり瞬間は言葉が出てこなかったが「肉漬け」は、まぎれもなく朝鮮の食文化が、おそらく第二次世界大戦の影響で日本に連れてこられた朝鮮の人々によって伝播した、立派な肉食文化である。僕は常々ルーツよりルートが重要だと思っていて、その土地で100年経っている、とか、200年経っている、とか、そういうことだけを誇りにすれば良いとは思っていない。その土地に住んでいる人々が、伝播してきた食文化を続けて気候風土と共に馴染んできている。が、それよりなによりおばあちゃんは霜降りの牛肉に誇りを持っていることに、この場合は共感せざるを得ない。これからも是非牛肉で肉付けをつくっていただきたいものである。

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