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「知りたくない」意識

わたしの潜在意識に「知りたくない」という意識がいるらしい
でもよくわかっていなくて???って感じ

潜在意識とお金は共通点が多くある
と、とある講座を読んでいたときに
この「知りたくない」のフレーズが気になった

わたしは見えない世界(高次、妖精、天使、悪魔などいわゆる潜在意識に存在するもの、潜在意識を介して認識するものたちのいる世界)
のことをあまり把握しようとしてなくて
どちらかというと、
そんなにちゃんと知りたくないのかも
ざっくりでいい
ちゃんと知ろうとすると、しんどいなって思う
雑に扱っている感じもする

お金もそうかもしんない
細かく把握しようとするとしんどくなる
だから家計簿とか全然続かない

うちは旦那さんのお仕事の収入と障害年金や
市からの補助金、独立行政法人の補助金とか、別々のところから少しずつ入ってきているお金もあって
お仕事の収入は毎月入ってくるけれど
市や国、独立行政法人などから入ってくるお金は
二か月に一度、三か月に一度、
とかでとっても把握しにくくてすごく苦手

だから、口座でわけてて
引かれる金額と、入ってくる金額が同じくらいのものを組み合わせて、
あまり見なくて済むようにしてたりする。

家のローンと障害年金がセットにして一つの口座。
ガソリン代とかお買い物とか電気代とか引き落とし全般の口座は旦那さんのお給料と市からの補助金。

みたいな。

まぁ細かいことを書いてもアレなので
とにかく、ちゃんと把握するのが苦手
知りたくない?
現実を見たくないんだろうか??

意識の世界も、ちゃんと把握したくなくて、
ざっくりでいいとどこかで思っていて、
ガイドも必要な人だけしかあんまりわかってない気が・・・
高次たちに失礼だよね・・・

これはお金にも失礼なんだよね

なんでこんなに知りたくないんだろう??
知ってしまったらどうなるんだろう?

ちょっと掘り下げてみる


お金のことや意識の世界のことを知ってしまったらどうなる?
そもそもお金のこと、意識の世界のことをどう感じているんだろう


見えないもの、価値が定まっていないもの、
価値が人によって左右されたり不安定なもの
あるようでないもの
ないようであるもの
そこに価値を見出すのは人間
人間によってその不安定なものに価値を付ける

価値はその人によって創られる
不安定なものを形づけるのが価値
不安定は自由だけど価値がない
形づけることで不自由になる

うーん。ふわふわしていたいのかなぁ
自由でいたいのかなぁ


存在意義や存在価値がつく
価値がつくことで何が不都合?

決めつけられる
レッテルを貼られる
本当の意味や価値が失われる

自分の感じたものの価値は他人と共有することはできない

うーむ。そこに絶望感を感じている?

形のないものの表現をどんなにしても
誰にも伝わらない悲しさ、虚無感
自分が感じてたものの感覚が
他人に共有できないことへの恐怖?

自分の価値は自分にしかわからない
人に認めてもらうことは一生ない
自分の世界に生きることへの恐怖?

なぜだろう?
自己満足の世界で生きればいいのに

自分の価値感を確定してしまったときに
否定されると何も残らない
相手に認識してもらえないと存在してないのと同じみたいな
居場所を失う怖さみたいな感じかな

確定してしまうと「そのものの本質(個性)を切り捨ててしまう」
なんかここへの不安感や恐怖心みたいなものがある気がする

意識の世界と物質世界の認識の仕方が違いすぎて
意識の世界を切り捨てなければ、
物質世界は生きられなかった
でも本当はこの意識の世界を切り捨てたくなかったのかも
物質世界と意識の世界の切り替えがうまくできずに切り捨てざるを得なかった

本質は意識の世界にあって
でもそれを物質世界に法則に当てはめて確定すると
意識の世界にある本質は失われる

本質はわかってもらえない

なんかジレンマ

どうしよう迷宮入り。
本質である妖精のわたしは、三次元は生きにくいってことかしら。
無理に三次元感覚だけで生きようとしすぎたってことなのかしら。
妖精感覚を取り戻したら、実は生きやすいのかなぁ。

本来の自分を取り戻すことが
生きやすさになる、はず。

今はまだなんだか本質との統合?がまだ完全じゃない感じ
でも本質を知っただけでも
気持ちはすごく楽で安心感みたいな
不思議な感じはあるんだな〜

本質を手に入れたらどうなる?
の実験中だね


「知りたくない」に関しては持ち越しだな(笑)

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