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人前でピアノを弾くということ

ピアノを弾くのが好きで、ずぶの素人ですが、人前で弾くのも嫌いではないです。
今はストリートピアノ流行りで、駅ナカなど公共の場にピアノが置いてあり、自由に弾ける。そこでプロ並み、時にはプロの人が演奏することがある一方で、素人がつっかえながらも一生懸命に弾いている姿もある。人はどうして人前で弾きたくなるのだろう。緊張するのに、失敗する心配もあるのに、、、。人前で弾くということを考えてみる上で、私のピアノの発表会での成功体験と失敗体験をもとに書き綴っていこうと思います。(約4480文字)

初めてのピアノの発表会は幼稚園の頃

何を弾いたのか覚えてないけれど
「上手に弾けてたわよ」と褒められて嬉しかったし、人前で弾くことに、なんの緊張もしない年齢で、ちょっとよそゆきの服を着てにっこり笑っている古びた写真が残っている。

その後、ピアノ教室の先生のお子さんたちの受験やら何やらで、先生都合と思うが、私がピアノ教室を小学校4年生で辞めるまで、ピアノの発表会がずっとなかった。今思えば、それもピアノ教室がつまらなくなってしまった理由の一つかもしれない。

大人になっての久しぶりの発表会

そして月日が流れ、ピアノを再び習い初めて2年目の34歳のとき、ピアノの発表会に出る機会が訪れた。
曲はチャイコフスキーの「花のワルツ」
本当はその曲を友人と連弾して弾けるようになるためにピアノを習い始めたのだが、連弾はあまりにも腕が交差したりぶつかったりするので2台ピアノがないと無理かもと諦めた曲。その曲を一人で弾く版のものだった。

スポットライトを浴びて挨拶し、その後ピアノの前に座る。緊張は半端ない。最初の和音を鳴らすところの音と、本来はハープで奏で流れるような音の連続パートをピアノで弾く、そこが聴かせどころ。間違えると汚い。何度も何度も練習したところ。そこを終えればあとは流れに任せて弾く。小さなミスはたくさんあったが、無事に曲の最後の和音を弾き終えて、拍手をもらった。そのときの充実感といったら、なんていうのか、「私、弾けた!」という達成感があった。子育て中で、「私」がどこかに行ってしまったような日常の中で、「私やり切れた!」みたいな感じだろうか。とにかく楽しかった。気持ち良かった。

その後は2度ほど、発表会に出させてもらった。
次はドビュッシーの「月の光」、その次はショパンの「雨だれのプレリュード」
この「雨だれ」が自分でも結構納得のいく演奏ができて嬉しかったのを覚えている。しかしこの後、引越しのため、ここのピアノ教室をやめてしまったので、ピアノ発表会には出る機会がなくなった。

次なるピアノ発表会はフルート伴奏とソロ演奏の二本立て

ピアノ発表会でピアノを弾く醍醐味を知ってしまったのに、発表会が無いのがなんとなく物足りなくて、何かしたいな、と思っていた頃、職場にアルバイトで来ていた女子がクラリネットの音楽講師もしているという。そしてもう一人、学生時代吹奏楽部でフルートを吹いていたという女子がいたのだ。私は合奏したい!と声をかけて、3人で集まっては合奏を楽しんでいた。クラリネット女子はプロなので、私たちの遊びに付き合ってくれていたのだけど、彼女が「せっかくだから発表会に出てみない?」と誘ってくれたのだ。私は願ってもない嬉しい提案に、「是非是非!」と乗る気とやる気で満々。フルート女子も乗ってくれた。

演奏曲は、フルートはフォーレ「シチリアーノ」私はピアノ伴奏。
そして私のピアノソロ曲はドビュッシー「亜麻色の髪の乙女」
フルート伴奏が長めなので、ソロは短めの曲を選択。
二曲ともメロディーが綺麗な大好きな曲。
今までのピアノ発表会では大きな失敗はしたことがなかった。今回も大丈夫だろう、とどこかで自信と油断があったかもしれない。前日にはお酒を飲んでしまって朝小さな音でもピアノ弾いてから会場に行く、といういつものルーティンをやらなかった。午前中のリハーサルもちょっとミスはあったけど、なんとなく弾けていたので大丈夫だろうとたかを括っていた。そして、、、

なんということ!ピアノが弾けない、演奏が止まってしまう大失態

私の順番の前に弾いた人はベートーヴェンのピアノソナタを1〜3楽章までフルにそれも上手に弾ききった。なんだか圧倒されてしまった。そのあとに私が弾くドビュッシーの曲はとても短い曲。さっさと終わらせてしまいたい、そんな気持ちで舞台に向かったように思う。

「亜麻色の髪の乙女」は短いながらも、音の旋律が美しく、それだけに和音も指の動きも難しい箇所がある。そんな名曲をそんな気持ちで弾こうと思ったのが間違いだったのだ。

舞台に上がって、気持ちが定まらないうちに弾き出したが、すぐに突っかかってしまい、そこでもうどこを弾いているのか分からなくなって、止まってしまった。もう一回最初から弾き直すという荒療治に。なんとか途中まで行ったが、やはり中盤の盛り上がりの和音が全く的外れな音を出して、そこでまた止まってしまったのだ。なんということだ!もう最初からやり直せない、そこは飛ばして、最後の方の部分で弾けそうな場所から弾き出してなんとか曲を終えた。もう恥ずかしいやら、みっともないやら、情けないやら、の感情の渦に巻き込まれた。

でももう1曲残っている。とにかく気持ちと体を立て直さなければ、伴奏が残っている、しかも長い曲。外へ行き、深呼吸をし、なんとか整えようとした。その時は家族も来てくれていて、「落ち着いて、大丈夫だよ」と声を掛けてくれた。そして本番へ。

最初の出だしはなんとか大丈夫。ピアノソロのところも乗り越えた。でもだんだん指がもつれて途中で引っかかり、そして…止まる。フルートの彼女がこちらを見てるけど、そこは吹奏楽部で鍛えてきただけあり、ちゃんとひとりでフルートを吹き続けてくれている。入りやすいところからまたピアノを入れるけど、もう頭は真っ白、どうにもならない。どこをどう弾いたのか…その後また止まる。やけくその最後の気力で弾くがヘンテコな音が出るだけ。フルートだけで最後の締めくくり。お辞儀したのも記憶にないくらいだった。今回、このnoteを書くために、封印してあった発表会のDVDを見たのだが、今でももう見てられないくらい酷かった。

もう最低の気分。自分の時より、伴奏の失敗の方がものすごいダメージだった。
フルートの彼女に申し訳なくて涙が止まらない。情けなさと申し訳なさと、もうごちゃ混ぜの気分で、たかが素人の発表会といえども、立ち直るのには、かなり時間がかかった。

立ち直るのには成功体験が必要なのだ

そして、ちゃんと立ち直るには、やはり成功体験が必要、次の機会を持ちたいと強く思って、クラリネットの彼女に思いを伝えると、次の年の発表会にまた参加させてもらえることに。

フルート伴奏は、「美女と野獣」、ピアノソロはベートーヴェン「月光」一楽章。
これはもう失敗したくない、失敗しない秘訣をクラリネットの彼女から伝授した。
*曲の途中部分からもすぐ弾ける練習
*録音する
*人前で弾く(電話越しでもOK)
そしてやはり練習。

このために、ピアノ講師をしている別の知人宅で一回のみのレッスンを受けたり、今みたいにスマホがない時代だったので、ホームビデオで録画したり、クラリネットの彼女に、楽譜に印をつけてもらい、その印の音からすぐに弾ける練習を繰り返した。

迎えた発表会の日、朝は少しだけピアノに触る。今回、リハーサルはほぼなし。やはり最初に私のピアノソロ。「月光」は母の好きな曲。前回、母は、既に軽い初期の認知症になっていたにも関わらず、一人で観に来てくれた。なのに大失敗。今回はもう母には来てもらわなかった。でも母に聴かせたい思いを胸に抱きながら弾いた。

湖に月の光が映り込み、湖面のさざなみの様子が右手で表現されているようなイメージで。後半の和音で盛り上がり過ぎないように抑えめに、そして最後の音へ。弾けた!最後までちゃんと弾けた!お辞儀をして舞台袖に行くと、クラリネットの彼女もフルートの彼女も拍手して迎えてくれている。嬉しかった。

そして少し間を挟み、フルートの伴奏へ。「Beauty and The  Beast」
フルートの彼女がお兄さんの結婚式で吹きたいと言っていた曲。
皆さんご存じディズニー映画「美女と野獣」の華やかで美しい旋律。和音の伴奏の音を綺麗に弾くように意識して。フルートの音も良く聞こえる。追っかけっこのような音の連続や歌うような音も良くできて最後の音を弾く。
弾き終わった!ホッとしたのと良かった!の気持ちでふわっと登っていってしまうような感覚があったのを思い出す。

発表会の楽しさを改めて実感

前回の弾けなかったことを消すことはできないけど、気持ちの落ち込みからは解放され、やはり発表会は好きだなぁと思えた。人前で弾くことが楽しいのだ。人に聴いてもらうのもありがたい。それに加えて、自分越えの挑戦。自分は出来るんだ、という自信が出てくる、ここに何か意味を感じているのかもしれない。

人前でピアノを弾くことの意味

それからはご縁と機会があって、高齢者施設でピアノを弾かせてもらったりした。喜んでもらえるとこれもまた嬉しい。こちらの方が元気もらえて幸せをいただけた。コロナ禍でその機会はなくなったが、良い経験だった。

人前で弾くことの意味。プロではないので、人に聴いてもらって何かを伝えたい、というよりは、自分の力量を試したい、この曲が好きなんだ、ここ、この部分が良いんだよね、と、ドキドキしながらも上手く弾けた時の満足感がたまらない、それを経験したいのが大きいように思う。もちろん、弾いているのを聴いて下さってる人たちが喜んでくれたら、この上ない幸せだ。

確かに、ベートヴェンの「月光」を弾いた時は、母に聴かせたい、という思いで弾いたから、気持ちが入っていたように思う。こちらの発表会のDVDは、後日母にも見せ、喜んで聴いてもらえた。音楽は気持ちが大事なんだな。

人前で弾くとき、上手く弾こうと自意識過剰気味になってると、力が入って上手く弾けない。その一方で何か大切なことを思いながら弾くことは大事だ。自己満足で弾いてるだけど、それだけじゃない、伝えるというよりは、思いを持って弾く、その曲が好き、イメージ、誰かに聴かせたい、という思いでもいい。

終わりに

人前で弾くのは、一人で部屋で弾いている時とは全く違う状況で、緊張感がある。そして、その緊張感が自分により良い何かを与えてくれる期待感、高揚感がある。弾いてみて、間違えたって、止まったって、それも良い経験。(出来ればそれは避けたいけれど笑)

だって、人前で弾かなかったらそんな経験も出来ないのだ。全てが自分を成長させてくれる糧となる。

次へ、もっと前へ進もうという動機づけとなる。モチベーションが上がる。そうなんだ。俄然やる気が出てくる動機づけ、それが私が今思う、人前でピアノを弾くということ、なんじゃないだろうか。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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