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美味しいお酒を飲む事

美味しいお酒としあわせな記憶は、いつもセットになっている。10歳頃のクリスマスに、母が1人でホットワインを飲んでいた事が一番古い記憶だ。

下戸の父はお酒を飲まないから、母も合わせていたのか普段は全く飲まない人だった。普段飲まないものを、母が嬉しそうに飲んでいるのを見て自分も欲しがった。子供はダメという一言が、より一層美味しいものに見えて、ますます欲しがった。

舐めるだけなら良いよと言われて、ペロリと口に入れた時の幸福感は今でも覚えている。味は良くわからなかったはずだけれども、特別なものを少し分けてもらった達成感と母の穏やかな笑顔が美味しいしあわせな記憶として残った。

お酒の味を本格的に覚えたのは、大学に入学した後の事だ。スコットランドに留学した時、ルームメイトからジンの飲み方を教わった。冷凍庫でキンキンに冷やしたジンをショットグラスで飲む。アルコールの度数が高いから凍らないものと知らされて、ただそれだけの事なのだが、その飲み方がなんだか格好良く感じたものだった。

ただ、この時は本当にお酒の味を覚えたとは思えない。お酒を飲んで美味しいと思う事が大人の階段を上る事のような、おさない幻想に縛られていたのだろう。コミュニケーションのツールとして、お酒を嗜む事が豊な人生を歩む鍵なのではと思っていたのかもしれない。実際に買ったジンのボトルは冷凍庫にあるまま、なかなか減らなかった。

心の底から、お酒を美味いと思えた初めての瞬間があった。大学3年の、とある夏の夕暮れ。空手の稽古で、くたくたに汗をかいた後のビールである。これほど美味いものを飲んだことはない。そう思った。その時たまたま飲んだものがキリンのラガービールだったから、キリンのビールは世界一美味しいのではないかと思った。

「この一杯のために空手をやっているんだ」と先輩は言った。同じ空手好きで集まった仲間と大きな声を出し、思い切り拳を交わし、汗をかく。その後に、仲間と酌み交わす、はじめの一杯のビール。爽快感と一体感。青春のしあわせが、そこにあった。

美味しいお酒の記憶は、歳を重ねるごとに少しずつ増えていく。

新卒で働き始めた時、私は巣鴨の商店街あたりに住んでいた。お給料が少なく、奨学金の返済もあって生活が苦しかったのだが、時々1人で飲み歩きをしていた。

今はもう閉店してしまった、カウンター席しかない蕎麦屋。店の前に掲げてある提灯がほんのりと。暖簾をくぐれば、和モダンな店構え。なんとなく入ったらお蕎麦が美味しくて通うようになり、蕎麦屋でのお酒の飲み方を教わった。

苛烈なパワーハラスメントに遭い、神経をすり減らしていく私にとって、そこは東京砂漠のオアシスになった。天ぷらと日本酒、日によっては蕎麦焼酎をちびちびと飲んで、〆に蕎麦を飲み込むように食べた。何を話したか、今は良く覚えていないのだけれど、カウンター越しにマスターと話をするのが好きだった。

「脱サラして蕎麦屋を始めたんだよ。蕎麦打ちの講習会があってね」

「昔はここ、天ぷら屋だったんだ」

「あそこのお店が美味しいんだよ」

そんな、たわいも無い話だった気がする。

あの頃そこで良く飲んだ、美味しい日本酒の銘柄は思い出せない。蕎麦焼酎は和尚だった気がする。家まで歩いて数分のところにあったから、顔を真っ赤にして千鳥足で気分良く帰った。

ある日残業で遅くなり、あまりに疲れたので気分転換をしようと思って寄ったところ、もう蕎麦がないと言われて肩を落として帰ろうとした事があった。すると

「蕎麦がきを作ってあげる」

とマスターが言うので、それは何だろうと心がときめいた。蕎麦粉を練って作ったお餅のような食べ物で、初めて食べる驚きと、お店に居場所があった事が嬉しかった。社会に出たばかりで、自分の理想と現実の大きなギャップに苦しみ、人生の道標が見えない中、私の不安に優しく寄り添ってくれたのは、もしかしたらこの時の蕎麦屋のマスターだったのかもしれない。もちろん、電話で色々と相談に乗ってくれていた今の夫もいるけれども。少なくとも、最も人生で孤独で心細かった時に、一時のしあわせと美味しい思い出を残してくれたお店だった。

その後、結婚した夫が下戸だったと言うこともあって、お酒を飲む機会は東京で一人暮らしをしていた時代と比べると随分減ったが、それでも美味しいお酒の記憶は少しずつ降り積もる。

新婚旅行で北陸の山代温泉に行った時。部屋で豪華に広がる懐石料理に、地酒の飲み比べセットを1人前だけ頼んで夫婦で分けて飲んだ事。それが2人で丁度良い分量で、美味しく気持ち良く酔えた。酔っ払って、うろ覚えの八木節音頭を踊ったりした。旅館の浴衣を着て、夫婦2人。しあわせだった。3月の下旬、東京から車の運転を交代しながら半日かけて移動した冒険のお酒の記憶。

映画『ウィスキーと2人の花嫁』を観て、猛烈にウィスキーを飲みたくなった時。夫と近所の酒屋に行って、普段飲まないウィスキーのコーナーで何が良いか戸惑った。酒屋の主人に相談すると、なかなか手に入らないというイチローズモルトが丁度入荷したと言って勧められた。家に帰ってボトルを開けて、一口飲むと夫と2人で美味しいね!と声を揃えた。お酒に弱い夫婦だから、一口二口でもう飲めなかったけれども。その感動は忘れない。

美味しいお酒の記憶は、いつも誰かが手招きして、「これ美味しいんだよ」と言っていた気がする。母であったり、先輩や友人、飲食店や酒屋の主人、旅先など。家で飲むにしても、外で飲むにしても、旅先で飲むにしても、誰かに勧められた1杯。そして飲む傍らに、誰かがいた。

「これ美味しいね」

と分かち合う瞬間。その場に花が咲いたような、しあわせがあった。美味しいお酒を飲む事は、きっと場所は問わないのだろう。新しいお酒に出会う感動と、その場を共有する人との思い出が、ここで飲むしあわせを作っていくのかもしれない。

#ここで飲むしあわせ

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