6月8日(土) 友人たちと集まって鶏を割く

今日は友人が「鶏飯(ケイハン)を作らないかい?」と声をかけてくれたので

朝からいそいそと出かける準備をする

さっぱりとした鶏ダシのだし茶漬けのようなもので、鶏飯は奄美大島の郷土料理である。

炊きたてのごはんを軽くよそい、その上に、割いた鶏、錦糸卵、椎茸の甘辛煮、ネギ、海苔、漬物をのせて、鶏ガラでじっくり時間をかけてとった出汁をじゃーっとたっぷりかけていただく。

この時の漬物はパパイヤの漬物がおすすめとのことで、友人は「これがないとね〜」とご実家からパパイヤお漬物が届いたタイミングでお誘いをしてくれる。

ところで、わたしは昔から荷物の準備が異様に苦手である。子を三人連れて外出というのは持っていくものも多いから大変でというのはタテマエで、よくよく考えてみたらずいぶん昔からこの荷物準備がするりとできた記憶がない。たぶん脳に多少の欠陥があるのだと思っている。

自分以外みんな出かけてしまうことを少し寂しそうにしつつ早速ゲームを始める夫を尻目に「鍵!」「水筒!」「持ち帰りのタッパーもいるんだった」「あ、袋もない」と家と車をなんども往復する。一往復くらいでスマートに済ませたいが、結局、七往復くらいした。「おかあさんまだあ?」と準備万端な子どもたち。

あまりにスムーズに進まないので
家に入るたびに部屋の隅でのんきにゲームをしている夫までちょっぴり憎らしく感じてくる。

この荷物準備ができないというのは、人生における小石のようなもので、たびたびつまずかされる。途中で力尽きてきてもう、でかけたくない、となることもしばしばある。
私は荷物の準備がしたくないから、家にこもっているのかもしれない。

幸い、雨がちらつくとの予報だったが、晴れ間が見えてきた。
風が少し強い。

そんな感じで、出かけるということに関しては腰が重いのだけど、それでも不思議とフッと動ける時、挫折しない時、ほぼ100パーセントその先には美味しいごはんが待っている場合で、食に対する原動力には定評があるのである
今回も鶏飯のおかげで、エネルギーを30くらいにすり減らせてなんとか、車に乗り込む。

***

他愛もない日々のよろこびや哀しみを、鶏を割きながら語り合う。
家でひとりもくもくと料理する時間もいいけれど、誰かと笑いながら”作るプロセス”を楽しむ、意外に家族よりも、共感しあえる友人との方が程よい距離感で心地よいのである。

「わたしはまな板を全然信用してないの」といいながらキッチンペーパーを敷いてその上で野菜をきる友人。台所に寄ってくるおチビに乾麺のそうめんを小さくちぎって渡すもう一人の友人。会話がままならないほど子どもたちの声。へえ、塩気があって美味しいねえ……

昔、薩摩役人をもてなすために、奄美の人は貴重な財産である鶏をさばいてまるまる料理してごちそうしたらしい。

昼は適当に済ませて、できた鶏飯は準備してお持ち帰り用になった。帰ってきてごはんの準備なんて、どっと疲れてしまうから。

夜ごはんの時間になったらタッパーにつめた具を机にどんと置いて、スープをあっため直す。役人ではないからセルフサービスである。



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