私が適応障害になったとき

初めはなんでなったのか覚えていない。
いつだったかも覚えていない。
東日本大震災の時の津波の映像や、原発が煙を上げるのをテレビで見て、怖くてしばらく家から出られなくなったので2011年より前には発症していたんだと思う。

仕事の過労だと思ってた。
パワハラもセクハラも同期や後輩からのいじめもあった。
家に帰れば女を虫以下に扱うモラハラ男がトドのように横たわって、お前はダメだとか、言いたい放題やってくる。
毒親に相談すれば「あなたの我慢が足りない」「どこの家庭も何かしらの問題を乗り越えている」
などと非難される。

どこにも逃げ場がない、
心が休まる場所がどこにもない、
と思った。

色んなことが積み重なって、
次第に食べ物を美味しいと感じなくなり、
夜寝られなくなり、寝てる時歯ぎしりしてるよ、と言われ、
握力が低下してハサミや包丁、実験中のメスやピンセットをよく落とすようになった。
顕微鏡を覗きながらの解剖や、大量の論文を消化して、さらに後輩や学生の指導など集中力を必要とする仕事なのに、睡眠不足などで仕事がままならなくなり、これではいけないと思い、心療内科に初めて自ら行った。
家族には「被害妄想」「考えすぎよ」「もっとポジティブに」などと反対された。

世の中には、新型うつだとか、怠け病だとか、言われていた時期だった。

抗不安薬と、セロトニン再取り込み阻害薬と睡眠薬を処方され、それらを飲んだらとりあえず落ち着いてまた仕事ができるようになった。
でも薬を飲み忘れた日は、動悸や目眩や脂汗、不安で生きた心地がしなかった。

心療内科医からは、身を置いてる環境が地獄すぎるから、心が悲鳴を上げているの。
投薬で様子みて容態が落ち着いてから、進退を考えましょう。
重要な決断は、メンタルが落ちてる時は保留にした方がいいよ
と言われていた。

心療内科付きのカウンセラーさんも紹介して頂いたけど、
「色々大変だと思うけど、君がノー!と言えばほとんど解決する問題じゃないかな?」と言われて、今思えばそれが真実だったと思えるけど、
当時はそのやり方が分かんないんだよー!教えろよー!
こんなカウンセリングに5000円も払ってられっかー!
とやめた。

でも薬の量はいつまでも減らないし、仕事の重圧は増すばかり、ストレスは増えるばかり。

このままこの薬を一生飲み続けるのか?と一抹の不安がよぎり、色々調べて、心の問題に詳しい鍼灸院に通い、
「体の冷えは心の冷え」と教えられ、お灸のスポットも教えて頂いて毎日自宅でお灸したり。
(鍼灸師さん曰く、腎臓が冷えてたらしい)

アロマテラピーの勉強(独学)したり。

うつ病は認知の歪みだ、と聞いてはそれ関連の本を買って読んだりもした。
いわゆる目の前のコップに半分水が入ってるのをみて
「もう半分しかない」
「まだ半分もある」と思うか、みたいな。

段々周りの環境が悪くなり、職場の信頼できるまともな人が次々と「もうむり」辞めていき、大問題が起こり私の処理能力を超え、パンクして幻聴に悩まされ、水を飲んでも胃痛で吐き、夜もほとんど寝られなくなり、寝ても足がつったり悪夢で叫んで起きたり、朝の通勤中に倒れたり、世の中が全てグレーに見えて、休職した。


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