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子どもは親をあらわす通信簿

妊娠中、子どもを産むのが怖かった。

それは物理的な恐怖じゃなくて、精神的な恐怖。

出産前の私は、子どもは親をあらわす通信簿のような存在だと思っていた。
だから、自分の子が産まれるという事実が怖くてたまらなかったのだ。


なぜ通信簿だとかんじていたのか?


子どもは環境や親の育て方によって変化する。

ヤンキーの子の親はヤンキーだったり
学校で忘れ物が多くてだらしない男の子のお母さんがPTAの会長をやるような、しっかり者だったり
すごく荒れている不良男子の家は両親が離婚したとか。

それを見て、人は「あの親であの子ね」という。


そう、子どもの姿は親を映し出す。

東大に子どもが入るとそのお母さんたちがどんな教育方針だったのかを書いた本が出たりする。

知育やモンテッソーリ教育など、たくさんの情報も溢れている。

そんな中で、親の教育方針や育て方、考え方などが自然と子どもを創り上げていく。
その成長が、親の評価、通信簿のように感じていたのだ。


今の私はどう感じているのか?

実際、出産し子育てが始まった今。
そんなことどうでもいい。のひと言に尽きる。

それだけ産前の私は、人からの評価や噂話に振り回されていたのだろう。

今となって思えば
誰かの評価で5だろうと1だろうと、そんな評価になんの価値があろうか。
私にとって、自分の子どもは何であろうと5なのだ。
まぎれもないオール5。

というよりも、今日という1日を乗り越えただけで生きているみんなオール5なのだ。


みんな誰かの子どもで
10か月、お母さんのお腹の中で過ごして産まれてくる。

愛された、愛されてないなど関係なく
母親は傷みを伴って子どもを産む。
生命を繋げていく。

産み育ててくれた親に感謝しつつ
毎日を前を向いて進んでいく。

通信簿なんてくそくらえ。
昔の恐怖を感じていた自分に、通信簿をなげつけてやりたい。

あなたもオール5の存在であることを忘れないでという言葉と共に。

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