ミサンドリーとリプロライツ
私の「炎上」を機に、Twitter上でリプロライツの議論が活性化しています。私自身の主張はかなり単純なのですが、ツイートで毎回同じことを書くのは骨が折れるので、ここにまとめてみました。ご一読くだされば幸いです。
まず大前提ですが、ジェンダーギャップが大きい現実、男性優位の社会や制度、家父長制的な慣習が遺残している現実、女性表象の「もの」的消費の現実が問題であるのは当然です。こうした状況に対する対抗運動としてフェミニズムはきわめて重要な意味を持つと考えています。ただし、私は「フェミニズムは女性の自己決定の保証を求める運動だ。自立する女性を励ます運動だ。保護という名目で女性の自由を奪うことに反対する運動だ」(@ruriko_pilltonさんのツイート)という意見に同意し、『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、河出書房新社)にも同意する立場なので、男性批判は「目的」ではなく「手段」となりますし、同様に女性も批判対象となり得ます。
問題意識の発端となるのは、「日本のフェミニストがピル解禁を提起できず、胎児条項の導入を提起できず、緊急避妊薬の市販化を提起できなかった(筆者注:時には反対した)」(@ruriko_pilltonさんのツイート)事実への驚きと疑問です。この件については、今のところどなたからも反証はなく、事実を裏付ける証言や文献は大量にある(→参考文献)ので、私は事実と考えています。
問題はなぜ「提起できなかった」か、あるいは「反対した」かで、ここから先は仮説です。
リプロライツの議論でしばしば言われる「避妊は男の責任」「男の意識が先に変わるべき」という論理は、リプロライツ導入の足を引っ張ってきたようにみえます。こうした論理は男性を嫌悪(ミサンドリー)しつつ男性に依存(期待)するというダブルバインドに近く、女性の自立を間接的に妨げるおそれがあると思います。男を批判するなとか、責任を問うな,という意味ではありません。当たり前です。男性批判とリプロライツを安易に合体させるべきではない、という意味です。
これは、強いミサンドリーが根底にあると、リプロライツの導入は抵抗ないし先延ばしにされやすいという構造的な問題です。そして構造は反復されます。この仮説が正しいとして、緊急避妊薬の市販化という気運が高まっているこの時期に、再びミサンドリストが台頭して市販化を妨げることはあってはならない、というのが私の主張です。市販化の後にもリプロ周辺の課題は、まだ山ほど残っているのですから。
「男性」批判とリプロライツ確立を両立させたい方——両立は困難でしょうが可能性はあるでしょう——は、ここに述べた構造的問題を意識しなければ、旧世代の過ちを無自覚に繰り返す恐れがあると思います。「表現規制」や「表現批判」を全否定しようとは思いませんが、「性的表現」批判に議論が集中しすぎると、そこでミサンドリーが再起動し、例の「構造」が反復される懸念があります。私は個人の生命や健康に関わるという意味で、リプロライツ>表現規制という優先順を想定しています。
私の主張は以上です。言うまでもありませんが、ここで述べた事実や仮説について、文献や事実によって反証されれば、それらを検討し学ぶ準備はあります。よろしくお願いいたします。
※ 文献をご教示いただく場合は、筆頭著者名、タイトル、出版年などの情報も一緒にお示しください。感情的、誹謗中傷、命令調などのトーンが強すぎる場合は、お返事を控えさせていただくことがあります。
参考文献(構築中)
芦田みどり:世界におけるジェンダー・日本におけるジェンダー-身体と意識の性差.
医学のあゆみ 211(7): 775-780, 2004.
「日本におけるフェミニズムの特徴は,欧米のもっとも急進的な理論を直輸入する一方で“身体の自己決定”を求める運動が起 こらなかったことにある」
「1970年代には欧米の影響で日本においてもフェミニズムが起こり,“女性の健康”運動も紹介されたが,日本の女性が受け入れたメッセージは “ピルの副作用”のみで,インフォームド・チョイスや“患者中心の医療”への要求はついに起こらな かった.日本の女性が熱心に取り組んだのは優生保護法を維持し経済的理由による中絶を守ったこ とだけである.“自己決定”が目標となることはなかった」
荻野美穂:戦後家族計画史のためのノート.待兼山論叢. 日本学篇,36,P.19-29,2002
「重要なのは、日本では、妊娠や避妊の最も直接的当事者である女たちの聞からピル認可を求める世論が起こらなかったことである。」
「一九七〇年代初頭に登場してそうした従来の『女らしさ』観念を徹底批判したウーマン・リブ運動の女たちも、ピルに対しては多くが懐疑的か反対の立場をとった。」
「したがって、もしも女たち自身が早い時期に声高にピル解禁運動を展開していたとしたら、日本の現在の避妊パターンはもう少し違ったものになっていた可能性は十分に考えられる。」
荻野美穂:基調講演: 生殖における身体の資源化とフェミニズム: 日本とアメリカを中心に.死生学研究, 2011
萩野美穂:女のからだ フェミニズム以後.岩波書店,2014
「(ピルを服用することの)「楽さ」と「自然さ」が、私自身の体のリズムを不自然に狂わせた。副作用のない薬の副作用。/おまけに、一番恐れていたことが起こった。私が一方的にピルを飲み続けることによって、私の男は思っていた通り避妊について無感覚になっていた」(『リブニュース』一三頁)。
「たとえ重大な副作用がなかったとしても、ピルは女だけがそれを飲むことによって、男を避妊への責任から逃れさせる結果をもたらすと言うのである。」
※ リブの運動の中にもピル推進派から消極派、反対派まで多様な意見があったが「話は煮つまらず、統一のスローガンとはならなかった」。
※ 本書ではこのほか、ピルに消極的な理由として、副作用への不安、製薬会社との癒着の疑惑が挙げられている。
※ ピルの推奨や啓発活動に力を入れていた女性の団体としては「中ピ連」「緋文字」の活動が紹介されている。
女のためのクリニック準備会編『ピル:私たちは選ばない』女のためのクリニック準備会、1987
「ピルは最も相手とのコミュニケーションを欠く方法で、男がなんの煩わしさもなしに、女に一方的に苦労(飲み続けるという苦労)する避妊」
松本彩子:ピルはなぜ歓迎されないのか.勁草書房,2005
「ピルを服用する方が女性の健康にとって危険だと妄信しているようだ」とピル規制の責任の一端が求められるようになる」
「実際、日本のフェミニストはピルに対して消極的であった。それは、戦後日本の生殖をテーマとする国内外の研究者の間でもある程度共通認識になっているといってよい。」
「ピルに対する抵抗感は、特に1970年代のウーマン・リブの言説にはっきりとあらわれており、それ以降も、ピル解禁を声高に主張するフェミニストは少数であった。」
「日本では『避妊責任』が明確に女性のものと位置づけられていないがために、それがどうしても個別の男性との関係性に規定されるということである。それをリブやヤンソンのようなピル否定派はむしろ肯定的に捉え、男性に避妊責任を共有させることにこそ女性の主体性の契機を見出してきた。一方、海外メディアや国内のピル肯定派は、このことをしばしば『日本の女は避妊を男任せにしている』とみなしてきた。しかし、日本のフェミニズムが男性を避妊責任から解放することをゆるさず、女性のみが生殖へと疎外されることも受け入れなかったこと、また、一般の女性たちの間にもそうした意識が広く共有されてきたことを、必ずしも『男まかせ』と断罪すべきではない。
」
森岡真梨:産まない選択と社会的受容.教育学研究室紀要 :「教育とジェンダー」研究 (9), 21-36,2011
江原由美子『フェミニズムの主張3 生殖技術とジェンダー』 /他著 勁草書房 1996
平山満紀:日本ではなぜ近代的避妊法が普及しないのか.明治大学心理社会学研究 (14), 43-62, 2019
元橋利恵:新自由主義的セクシュアリティと若手フェミニストたちの抵抗.架橋するフェミニズム: 歴史・性・暴力, 25-36,2018
後藤正英:[書評] 愛・性・家族: この身近で遠いもの.西日本哲学年報, 2018
「相澤伸依氏による「ピルと私たち―女性の身体と避妊の 倫理―」は、日本においてピルの合法化が遅れた背景を辿りつつ、かつて日本のフェミニズムがピルの積極的使用に反対した経緯について紹介している。反対論者は、ピルを使用可能にすることで男にとって都合のよい性交が広まることを危惧したわけだが、相澤氏は,理想の男女関係を強調しすぎるあまりに現実の避妊対策が放置された点は残念なことであったと述べている」
Kobayashi, Yoshie:A Path Toward Gender Equality (East Asia: History, Politics, Sociology and Culture) (p.69). Taylor and Francis,2004
the group aiming at the politics of individual sexual freedom such as Chupiren (Confederation of Conceptive Pill) was isolated from not only the Japanese public but also any existing women’s organizations, which tended to value identities as mothers and wives. The mass media reported their activities as ridiculous and sensationalized the dangers of the u-man ribu feminism.20 A large number of women activists were also explicitly critical of the u-man ribu groups, which attacked women’s values on the housewife’s role. The BWM also mostly ignored the movement, while the u-man ribu groups also avoided contact with any government agencies. Nevertheless, the new movement had a significant influence on women’s movements after 1970s. These u-man ribu groups awoke other women activists in the existing groups to the sense of gender inequality in public and private. Thus far, the new movement worked as a bridge from housewife feminism to the feminist movement toward legalization of gender equality in employment.
MARIANNE GITHENS et al.:Abortion Politics,Taylor and Francis,2010
Countering the bureaucratic arguments were the Japan Family Association, the Family Planning Federation of Japan, the Maternal Protection Association, and various women’s groups who argued that individuals should be permitted to weigh health risks for themselves and that the low-dose pill should be approved immediately (Iwamoto, 1994). However, the Japanese public in general, and many groups in the women’s movement as well, remain unconvinced of the pill’s value. Unlike the protests that have surrounded government attempts to restrict access to abortion–with the exception of a controversial group, Chupiren, whose confrontational tactics in the early 1970s were shunned by most feminists–there has never been an organized effort by women to make the pill more available. Still, while many Japanese feminists don’t view the pill as the best form of contraception, they believe that women should be given as many alternatives
Ampo Japan Asia Quarterly Review :Voices from the Japanese Women's Movement (Japan in the Modern World) .Routledge,2015
Abortion became partially legalized after World War II as a means of population control. Women were given the right to have abortions for economic as well as eugenic reasons. As a result, the freedom of abortion and access to the pill did not become political issues in the feminist movement. They emerged as an issue only when there was a proposal to amend the Eugenics Protection Act to remove the economic reasons clause. This would have made it substantially more difficult for women to have abortions, so the focus became not the question of abortion but rather the question of banning abortions. This movement has been successful, however, since the focus on the correctness of the ban has allowed many women from different positions on abortion to join in. The movement included both conservative women, who accepted the dominant theory or who preferred to preserve the status quo, and radical women, who opposed eugenics theory. Though there were major theoretical contradictions, the discussion did not lead to political debate but rather brought success to the movement. This evaluation was made by Iwamoto Misako, a feminist. She has also reflected that Japanese women lacked the subjectivity to ask for reproductive rights and self-determination in the 1980s, and that in the 1990s Japanese women have finally reached the starting point from which to look for a new subjective identity for reproductive rights.
国会図書館 https://iss.ndl.go.jp/books/R000000006-I000223372-00
日本におけるピル使用をめぐっての、フェミニズム内部の対立や論争について知りたい。(相模原市立相模大野図書館)
回答等
タイトル 日本におけるピル使用をめぐっての、フェミニズム内部の対立や論争について知りたい。(相模原市立相模大野図書館)
回答
①『女の子からの出発』
②『ピルはなぜ歓迎されないのか』
③『資料日本ウーマンリブ史Ⅱ』
④『現代日本女性史』
⑤『フェミニズムの主張3 生殖技術とジェンダー』
⑥『産む産まないは女の権利か』以上の資料を提供した。
回答プロセス:①フェミニズムに関する棚367.1を直接確認し、下記を提供した。『女の子からの出発』 長島世津子/著 丸善プラネット 2011 【s30857999 367.1】 p82-86 「ピル本当に解放のシンボル?」の項目にピルについての記載あり、提供した。②R367の棚を直接探す。『日本女性史大辞典』 金子幸子/他編 吉川弘文館 2008 【s25265612 R367.2】 p610 ピルの項目あり。日本では、エイズ流行や環境ホルモンを理由に何度も認可が延期され、1999(H11)年にようやく認可されたこと。また1970年代のウーマン=リブ運動の中でも「中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)」を除いて、多くの女性はピル解禁に積極的でないことがわかる。この資料より以下の参考文献を確認する。③『ピルはなぜ歓迎されないのか』 松本彩子/著 勁草書房 2005 【s24993891 495.48】ピルをめぐる歴史や背景についての記載あり、提供した。『資料 日本ウーマン・リブ史Ⅱ』 溝口明代/他編 松香堂書店 1994 p244 中ピ連発足についての記事あり。「子産み選択の自由は、女に任された基本的権利であり、女が生まない権利を保障する、唯一の主体的避妊法はピルである。厚生省はピルを解禁せよ」と明確な主張を旗印にして中ピ連は活動を開始したとの記載があり、提供した。④キーワード“家族計画”で検索したところ、下記がヒットする。『現代日本女性史』 鹿野政直/著 有斐閣 2004 【s22045504 367.21】 p94-107 女性学・フェミニズムについての記載あり、提供した。またこの章で紹介されていた参考文献をいくつか確認する。『フェミニズムの主張3 生殖技術とジェンダー』 江原由美子/他著 勁草書房 1996 【s19757939 367.2】 フェミニズム全般についての記載あり、提供した。
『産む産まないは女の権利か』 山根純佳/著 勁草書房 2004 【s22337745 367.1】 フェミニズムとリベラリズムについて記載あり、提供した。以下は調査済み資料。『家族計画への道』 荻野美穂/著 岩波書店 2008 【s26252650 498.2】 ピルに関しての記述なし。注:【 】は自館の資料コードと請求記号参考資料:『女の子からの出発』 長島世津子/著 丸善プラネット 2011, 参考資料:『ピルはなぜ歓迎されないのか』 松本彩子/著 勁草書房 2005, 参考資料:『資料 日本ウーマン・リブ史Ⅱ』 溝口明代/他編 松香堂書店 1994, 参考資料:『現代日本女性史』 鹿野政直/著 有斐閣 2004, 参考資料:『フェミニズムの主張3 生殖技術とジェンダー』 江原由美子/他著 勁草書房 1996, 参考資料:『産む産まないは女の権利か』 山根純佳/著 勁草書房 2004,
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件名(キーワード) 家族計画
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NDC 498
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