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I have to lived so far

音楽。

私に欠かせないもの。

だけれど私は、しばらく音楽を聴けませんでした。

あのとき奮起した。
あのとき涙した。
あのとき突き動かされた。

そういったことを思い出すのが、
とても怖くて辛かったからです。

いま奮起できない。
いま涙できない。
いま動けない。

そんな自分が情けなくて仕方なくなるからです。

だけど、

私は性懲りもなく、音楽を聴きに行きました。
道のりはJRで2時間以上。
暇な時間も多々あって、
食事をして、煙草を吸って、ケーキを食べて、コーヒーを飲んで、
時間をつぶしつつ、
そのときを待ちました。

私の女。

私の、
母であり、人魚であり、娘であり、少女であり、友人であり、
女神であった彼女。

中学生の頃からずっと聴いていた歌を、
生で聴きに行きました。

10年ぶりに聴けるはずだったコンサートは、コロナ禍で中止になりました。
もう充分だと思っていた。
もう、2度も聴けたから。会えたから。

それでももう一度、
彼女がこの北の大地に来ると言うのであれば、
会いたかった。

だから、チケットを取りました。
今度は、15年ぶり。

彼女の歌は、私に深く深く染みわたり、
会場で、私は半分以上泣いていました。

愛してる。

そう思いました。

だけど。

数日後、私は死にたくなりました。
自信がなくなったのとは違いました。
いつもの、なんとなくある死にたさに、
「今首を絞めなければ」といった焦燥感が加わりました。

なんで。
あんなに幸せにしてもらったのに。
死にたいと思う自分がいる事実と
幸せだった自分がいる事実と
その狭間で、鋏に切られるような思いでした。

でも、思えば当たり前でした。
私がほんとうに死にたいとき。
いつも彼女の歌はあった。
だから、「死にたさ」まで想起させられてしまったのでしょう。
彼女の歌がどうこうではない。
私が、そのとき聴いていたから。

でも、同時に、いえ、
あのときも
あのときも
あのときも
思いました。

私は生きてきた。
ここまでがんばってがんばってがんばってがんばって生きてきた。

私は!
この手で、この足で!
傷だらけでも!
醜くても!
こんなにも痛くて、つらくて、傷ついて、がんばって、のたうちまわって、

それでも、
生きてきたんだ!

彼女の歌は私のあしあとでした。
わたしのめちゃくちゃなあしあと。
それを全部認めて受け入れてくれる歌たち。

だから、何度聴いても涙があふれてしまいます。

歌よ。
どうか止まらないで。
あなたの歌よ。
どうか誰かに届いて。

死にたい。
本当は死にたい。
もう、もう、
自分をゆるしてあげたい。
ここまで生きた自分を認めて、
もういいよ、って言ってあげたい。

でもなんでだろう。
世界はこんなに美しい。

私は、
私のめちゃくちゃなあしあとも
この世界も
見捨てることが出来ません。

愛してる。

この世界を、愛しています。

喜ばしい音のシャワーとともに、
私は、
また呼吸を続けてしまいます。

ここまで、生きてきたよ。
誰も知らなくていい。
私だけが知っていればいい。
だけど認めて。

ここまで、生きてきたよ。

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