1月17日に28年目になったけど、複雑な想いが「未だにある」
1月17日、震災から28年目
当時は「自分の出来ること」に必死で取り組んでいました。
たくさんの「悲しみも悔しさも」ありました。
近しい人を亡くされた方々や、大きな苦しみを受けた方々は「忘れない」と思います。
次に震災が起きて、1年間も「手前弁当」で
「炊き出し」が出来るだろうか?
「寄付金集め」が出来るだろうか?
「物質輸送」が出来るだろうか?
当時は、20代後半で「元気で体力も」そして「生活に余裕」がありました。
10年ほど後に神戸で「生活保護」を申請するべきか?
悩むほど困ったことがありました。
1年間、何万人もの方々に「炊き出し」を提供しても、神戸・三宮では「当時はありがとう!」と声を掛けてもらったことが「ありません」
貰う時だけ「愛想よく」
それは「無料だから」なのです。
余裕がないので「仕方ない」と思う。
「感謝してほしい」とかではありません。
でも、逆はない
常に「一方通行」なのです!
当時に比べて「余裕がある方」は、激減しています。
備えることを「履き違えない!」
本当に「備えること」を考えませんか?
愚痴りました。すみません。
私は、仕事があるので、生活は出来ています。サポートを頂いた時は、以前から活動している『聴覚障がい者の災害時避難サポート』に遣わさせていただきます。また、義足の方の靴バンクが作れればとも考えています。障がい者の方も心豊かに過ごせる世の中にしたいです。